誤読と曲解の読書日記

読書の感想を書く日記です。あと、文具についても時々。

さまざまな思いが胸にグサグサと #買って良かった2020

さまざまな思いが胸にグサグサと #買って良かった2020/『100分de名著 ブルデュー ディスタンクシオンNHKテキスト:目次

※この記事は、はてなブログ今週のお題、「 #買って良かった2020 」に参加する記事です。

買って良かった本2020

 #買って良かった2020 、読書ブログらしく2020年に買って読んだ本の中から一冊を挙げたい。

 それは『100分de名著 ブルデュー ディスタンクシオンNHKテキストである。

 NHKEテレに『100分で名著』という番組がある。毎月、一冊の「名著」を専門家が読み解き、その内容をやさしく解説してゆく番組である。

 本書はこの番組の2020年12月のテーマとなった、フランスの社会学ブルデューの著書『ディスタンクシオン』を解説するテキストである。解説をするのは立命館大学大学院教授で社会学者の岸政彦氏。

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 個人的には「社会学」とは無縁の人間である。わたしの通った大学でも「社会学」関連の教養科目があったかもしれないが、それらの科目をとったかどうかさえも忘れた。それくらい、わたしと「社会学」とは接点がない。

 本書を知ったのは、Twitterでフォローしている岸政彦先生のTweetだ。岸先生のRetweetや書店関係のTweetで、とにかくいろんな人が本書を誉めそやしていたので、ならばひとつ読んでみようと思い立ったわけです。

 いわば、岸先生による盛んなRetweet爆撃とも言えるセルフプロデュースに、ものの見事に負けたのでありました。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれている場合があります。

それは本当に「自分の自由な意思で選び取ったもの」なのか

 読んでみると、本書を読んで正解だったとすぐに判明。ありきたりの表現になってしまうが、本書に蒙を啓かれ、眼から鱗、わたしの無知や先入観も見事にコペルニクス的転回を果たしたわけですね。

 つまり、本書を通じて「わたしたちが自由だと思っている行為や選択が、いかに階級(出身階層や学歴)などの社会構造に規定され、条件づけられているか」ということに気づいたわけです。

 わたしたちは自分の趣味、たとえば遠藤周作の小説『沈黙』を読む、ウェイン・ワン監督の映画『スモーク』を観る、ビル・エヴァンスのアルバム『We Will Meet Again』を聴くといった趣味(ここで挙げた例はわたしの場合です)を、自分の自由な意思で選び取ったものだと思っている。

 しかし、このテキストで取り上げられたブルデューの『ディスタンクシオン』は、わたしたちが自分の趣味を自由に選び取ったという幻想を見事に打ち砕く。

 ブルデューは「趣味と社会構造との密接な関係を明らかにし、趣味や嗜好という非常に個人的な領域が、いかに社会によって規定されているかを明示」(本書p18-19)するのだ。

 そして、その根拠について「ハビトゥス」「界」「文化資本」といった概念を導入することによって、社会構造と個人的な趣味の関係を解剖し、そこから明らかになった厳しいとも言える現実を直視する。本書はそんな『ディスタンクシオン』について解説する。

 このように解説すると、まるで人間の行為には自由がなく、なにもかもが出身階層や学歴といったものに決定づけられてしまうのではないか? とさえ思ってしまう。けれども、人間にそういった「不自由」がつきまとうからこそ、それを直視することで、わたしたちはより「自由」になれるのだと希望を持てる本でもある。

これってもしかして! と気づく

 わたしの場合、趣味は読書、映画、音楽、それに文房具ということになる(それらの中にも幅広いジャンルがあるが)。けっして裕福ではない出身階層だが、学歴はいちおう四大(学部)卒である。

 ところで、本だけは物心つく前から母親に読み聞かせされていたので、いまだに本を読むことは苦ではない。ジャンルとしては主に海外文学(欧米中心。個別具体的な名前はいちいち挙げないが、ずいぶんと偏っていることは自覚していますよ)、それに新書系(政治や歴史が多いかなあ)。

 小中学生の頃、わたしは田舎の小さな町に住んでいた。田畑と畜産施設、誘致企業の工場、それにちょっとした商店街が混在する、人口二万人の町である。

 そんな町で本に触れるには、町の図書室(図書「館」ではない)、小中学校の図書室、そして本当に小さな書店が一軒だけという環境だった(のちにロードサイド書店が、たしか中学生の頃くらいに一軒できた)。つまり読書環境はそれほど良くはない町と言える。

 それでもその町で生まれ育ったわたしは、小中学生だった頃、学校の図書室の本を片っ端から(というほどでもないかも)読んだ。『怪人二十面相』や『ズッコケ三人組』といった本だ。少なくとも幼い頃の母親による「教育」の賜物だと言っていいだろう。

 けれど、少なくともわたしのまわりの子どもたちは、それほど本を読んでなかったように記憶している。少なくともまわりの友達や同級生と本の話をした覚えはない。マンガやゲーム、テレビ番組の話はしたが。

 だから、『怪人二十面相』や『ズッコケ三人組』を読んでいるのは、自分ひとりだけなんじゃないか(本当はそんなことはなかったんだけど。学校の図書室にあった本だから)、みたいな疎外感にも似た感覚があったのはたしかだ。マンガ以外の文字がいっぱい書いてある本の感想を友達やまわりの人と語り合う、みたいな経験はなかった。

 だから、いまだに読書というものは個人的で孤独な行為(まさに読書という行為そのものですが)だと思っている。

 でも、そういう読書習慣やそこから来る疎外感にも似た感覚もまた物心つくかつかない頃からのハビトゥスによって生まれたものなのではないか。そんなことを本書を読んで思ったわけですね。ああっ! これってもしかして、あのことを言ってるんじゃないか! みたいな。

刺激的で、世界を把握する解像度がグンと上がる

 あるいは、音楽については昔からJ-pop、少なくともヒットチャートの上位に来るような曲には、わたしはそれほど興味を持てなかった。

 「まわりのみんながそんな曲を聴くのは、単に流行に乗っかって聞いたり歌ったりしてるだけだろ。しょせん、お前らテレビの情報に踊らされてるだけじゃん」みたいな感覚があったから(ひどい偏見ですね)。そういう感覚も、あるいは読書や周囲の環境によって培われたものかもしれない。

(もちろん、まったくJ-popに興味を持っていないというわけではなく、ほんのひと握りのアーティストやバンドを除けば、ほとんど聴かないというだけですが)

 ところで、わたしの場合、中学生のときに本やラジオを通じてジャズという音楽があることを知って、なんとなくこれはいい音楽だなあと感じていた。少ない小遣いを貯めて、オスカー・ピーターソンのアルバム『We Get Request』を買いましたよ。

(書いてて気づいたんだけど、このアルバムを買ったのは高校生のときだったかもしれない。繰り返しになるが、わたしが小中学生に頃に過ごした田舎の小さな町では、そもそもジャズのCDなど売ってなかった。あったとしてもひどく希少だったのだ)

 本書にもわたしと似たような岸先生の体験談が載っている。ラジオから流れてきたウィンストン・ケリーのピアノに衝撃を受け、感動したという話だ。岸先生は当時、その出会いはまさに「稲妻の一撃」だと思っていたが、今になって考えると「音楽作品と出会うための下地があった」(本書p21)と振り返っている。

 となると、少なくともわたしにも「音楽作品と出会うための下地」があり、それは読書などを通じて生み出されたものなのではないか、みたいな考えや疑問が、本書を読むと次々に頭に浮かんでくるのですね。

 あるいは、今までなんとなくそんな感覚があったかもしれないけど、そういった「モヤモヤと感じていたこと」が、明瞭に言語化されて説明されているので、本書を読むと眼から鱗! みたいに思えたのかもしれない。

 本書は趣味を持つ多くの人にとって、思い当たるフシがありすぎて、さまざまな思いが胸にグサグサと突き刺さるかもしれない。それだけ刺激的で、世界を把握する解像度がグンと上がる一冊となっています。

参考リンク

1)NHK 100分de名著/12月の名著 ディスタンクシオン
www.nhk.or.jp

2)NHK出版 NHKテキスト2020/『100分de名著 ブルデュー ディスタンクシオン 2020年12月』
www.nhk-book.co.jp

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