2014-01-01から1年間の記事一覧
海外文学を読むこと 海外文学(の翻訳物)が読まれないらしい。 読まれないということは、売れてないということだ。わたしは古今東西の海外文学をことごとく読破したわけではもちろんない。 人よりは多少、多いかなあというくらいだ。それでも周囲を見回すと…
タイプライターといえば、かつてこの世に存在した歴史上の機械とのイメージを持っていた。たとえば古い映画やテレビドラマでは状況説明の小道具としてタイプライターが登場する。白、あるいは黒一色の画面にガチャガチャとキーを叩く効果音が流れはじめ、「1…
朱藍鉛筆は、どちらかと言えばマイナーな文房具に分類されるかもしれない。いちおう解説すると、鉛筆の軸の片方に朱色の芯、もう片方に藍色の芯が通っていて、両端を削ってそれぞれ朱色と藍色の芯を使う、というもの。
このブログのメモや草稿は、キャンパスノートを使って書いている。キャンパスノートは学生時代にずいぶんお世話になったノートだ。ただ学生の頃は(今もだけれど)、それほど勉強熱心でもなく、したがってそれほどノートを開いて熱心に勉強をしたわけでもな…
「2Bの鉛筆は子どもが使うもの」という偏見 最近まで「2Bの鉛筆は子どもが使うもの」という偏見を持っていた。実際にそれは意味のない偏見に過ぎない。このブログのメモ書きや草稿は現在、三菱鉛筆製のユニの2Bで書いている。2Bの鉛筆の書きやすさに気づいた…
真っ黒に汚れた古い消しゴム わたしが普段使っているペンケースの中に、古い消しゴムがある。消しゴムを包む紙のスリーブもとっくの昔に外れてしまった、全体が真っ黒に汚れた消しゴムだ。最初に買ったときからはずいぶん時間が経過したため、いくぶん硬くな…
生まれて初めての万年筆 生まれて初めて万年筆を買った。万年筆といっても高級品ではなく、無印良品のアルミ丸軸万年筆である。価格は1本1000円あまり。安価なものだが、自分のお金で買った初めての万年筆でもあるし、万年筆を所有すること自体がほぼ初めて…
木という天然物を使う文房具 手書きの際に使用頻度が高いのは鉛筆だ。『手書き』の記事でも少し書いたが、そもそもは昔使っていた鉛筆を見つけ、捨てるのも忍びないので、日常の中で使っていこうと思い立ったことが、現在も鉛筆をかなりの頻度で使うきっかけ…
新たに『文具』のカテゴリーを作成しました。わたしが文具(文房具)について、なんやらかんやら書いた記事です。実はこれらの文具についての記事は、1年ほど前からこのブログにupすることを前提として、手書きで書き綴っていたものです。ところが個人的にい…
村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』文藝春秋 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』という長いタイトルは、この本の内容を表したもので、この本は主人公、多崎つくるの巡礼を描いたもの。
400字詰原稿用紙を使う 400字詰原稿用紙を大人になって使う人は、今どきどれほどいるのだろう。今、文章作成といえば、ほとんどがパソコンで作成するから、余程のことがなければ原稿用紙を使うことはない。じゃあ、「余程のこと」とは、どんなことなのかと尋…
わたしの日記についての話。これでおおかたの話は終わりです。 しかし日記について、話すことがたくさんあるね。
わたしの日記についての続き。 今回は、その日記に書いている内容について、ちょっと深入りして、ここに書いておきたい(そんな需要など、あまりないと思うけども、ひとつの記録として)。自分の日記につけている内容は、大きく2つにわかれる。
実は昨年の正月から日記をつけはじめている。 だから今は、わたしが日記をつけはじめて1年と3ヶ月が経過したことになる。手元の辞書(岩波国語辞典)によれば、「日記」とは「毎日の出来事や感想などを書いた記録、日誌」とある。 「日記」の説明の中に「日…
本書は、藤子・F・不二雄先生自身が書いたエッセイや、新聞・雑誌のインタビュー記事などがまとめられたものである。本書は『発想術』というタイトルが付けられているが、実際は『発想術』にとどまらない、藤子・F・不二雄先生の肉声を集めた本と言えるだろ…
本書は出版社の辞書編集部に勤める主人公を中心に、新しい国語辞典が編まれてゆくまでの過程に関わる人々の思いを描き出す物語である。ひと口に辞書ができるまでと言っても、本書の中では十数年、あるいは数十年の年月が流れる。わたしたちが普段使う辞書は…
本書を読んだ後では、辞書を引くことがより楽しく豊かなものになること間違いなしと言っても過言ではないだろう。辞書を使う目的は、言葉の意味や使い方を調べることだ。 しかし本書を読んだ後は、そのような実用的な使い方にとどまらず、辞書そのものを読む…