誤読と曲解の読書日記

読書の感想を書く日記です。あと、文具についても時々。

漱石が100年後を眺めたら/夏目漱石『余と万年筆』青空文庫

漱石と万年筆

夏目漱石『余と万年筆』。これは夏目漱石が自分の万年筆について書いた短いエッセイ。1912(明治45)年6月に発表したものなので、ゆうに100年前の文章である。

漱石は、それまで使っていたペリカン製の万年筆と険悪な関係であったが、そのペリカン製の万年筆の使用をやめたのに、やっぱり万年筆の便利さに惹かれて、再び万年筆を手に取ったという内容。

漱石がいかに万年筆とどのような格闘を繰り広げながら険悪な関係に陥ったかが活写されている。まるで万年筆がひとりの人格を持った存在であるかのように描かれているのが面白い。

「万年筆道楽」

ところで、現在は万年筆の趣味にはまってしまうと、その行く手にはさまざまな”沼”と呼ばれる危険が待ち受けている。この”沼”、100年前に漱石は「万年筆道楽」と呼び、その生態をやや皮肉を込めて活写している。

「一本を使い切らないうちに飽(あき)が来て、又新しいのを手に入れたくなり、之(これ)を手に入れて少時(しばらく)すると、又種類の違った別のものが欲しくなるといった風に、夫(それ)から夫(それ)へと各種のペンや軸を試みて嬉しがる」。

さすがにそんな”沼”にはまる人々のことを、漱石は「今の日本に沢山あり得ると道楽とも思えない」と書いた。しかし、100年の時を経た現在、このような人々は現代の”沼”にはまる人々の姿そのものだ。

この万年筆を手に入れたから、今度は別の万年筆を入手しよう、という”万年筆沼"。このインクの色を使ってみたから、あのインクの色も試してみたいという”インク沼”。そして万年筆の書き心地を追求するうちに、あの紙ではどうか、いやこの紙を使ってみようという”紙沼”。

そのような”沼”にはまってしまうと、万年筆を何本も買い集め、インクのボトルを何本も買いあさり、紙を求めてノートから便箋といったものを積み上げてしまう。そんなに使い切れるわけないだろうという大量の所有物を、自分でもあきれてしまうほどの物量で部屋や棚や引き出しを埋め尽くしてしまう事態に陥ってしまう。

そんな”沼”にはまる人々が、100年後の日本にたくさん生息している姿を漱石が目撃したら、はたしてどのように描写するのだろうか。

参考

1)青空文庫 図書カード 夏目漱石『余と万年筆』
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/card2675.html


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