誤読と曲解の読書日記

読書の感想を書く日記です。あと、文具についても時々。

一生抱えていかざるを得ない痛み/ジェイムズ・ディッキー(酒本雅之訳)『救い出される』新潮文庫(村上柴田翻訳堂)

一生抱えていかざるを得ない痛み

ジェイムズ・ディッキーの『救い出される』は、男たちが川下りの途中で陵辱と暴力にさらされ、そこから逃れる物語だ。悪から逃れて生き延びるため、男たちは悪を犯さざるを得なくなる。生き残り、逃げのびて、救い出されるために、人間を殺さなければならなかった。そのあたりの切実さ、切迫感、緊迫感が、物語の先を読ませる推進力になっている。

肉体的にも精神的にも深い傷を負ってしまった主人公の「ぼく」は、再び日常に戻ったあと、もはや川下りに出かける以前の自分とは大きく変化してしまった自分を発見する。「ぼく」はもともと退屈極まる日常から逃れることを望んで川下りに出かけた。川下りの途中で予期せぬ暴力が降りかかり、それをくぐり抜けて元の日常に戻ってきたとき、もはや自分自身は以前の自分ではなくなっている……、というストーリー。

読後感はさわやかなものではない。むしろ、自分の身体の深いところが痛むような感じだ。その痛みは思わずうずくまって動けなくなってしまう類の痛みではない。あくまでも、身体の奥深いところでずきずきとうずくような痛みと言えばいいだろうか。おそらくはそんな痛みを、主人公の「ぼく」と仲間たちは、一生抱えて生きていくのだろう。

この物語の文章には、本書で描写されるような川の流れのような緩急がある。あるところは流れの速い急流で、とにかく先へ流させるように読ませる。またあるところでは、緩やかな流れのように風景を眺める余裕、ひいては大自然の中で自分を顧みる余裕のようなものさえある。

同時にそのような自然描写や心理描写に、独特の味わいがある。例えば川の水の描写。「上流下流何百マイルにもわたり、何千年の歳月をかけて、大地の構造に教え込まれたとおりに動く、深みのある水だった」(本書p121)。これは、作者のジェイムズ・ディッキーが詩人でもあるからこその表現なのだろう。そのあたりの味わいもまた、本書の魅力である。


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不完全で儚い存在/河合祥一郎『シェイクスピア 人生劇場の達人』中公新書

戯曲を読むのが苦手

わたし自身、戯曲を読むのは苦手だ。なぜ苦手なのか、それを説明すると長くなりそうなので割愛するが、「地の文」でさまざまな説明や描写のある小説と比べて「ト書き」の情報しかない戯曲では、想像力がより必要とされるから、みたいなところに落ち着くのだろうか。単に戯曲に対する苦手意識が先立っているだけということもあるかもしれないが。

河合祥一郎シェイクスピア 人生劇場の達人』中公新書。本書を読んでも、すぐにシェイクスピアの戯曲がすらすらと読めるようになるわけではない。本書はシェイクスピアの描いた戯曲の読み方のコツやテクニックを直接的に解説するわけではない。けれども、読み終わったあとにはシェイクスピアの戯曲に描かれた世界が、より豊かにぐんと広がって見えるはずだ。

第1章から第3章までは、シェイクスピアの生涯を3つの時期に分けて追っていく。シェイクスピアの生きた時代背景から彼の生涯をたどり、そこから彼の行動の背景にあったものに想いをめぐらせる。また、第4章以降は、シェイクスピアの演劇の構造や背景を読み解く。有名なセリフや場面の裏に意図されたものや潜んでいるものを明らかにしてゆく。悲劇や喜劇の構造、戯曲の根本にあるシェイクスピアの哲学や思想を読み解き、そこに込められたシェイクスピアの思いを紐解く。

本書は、シェイクスピア作品をより深く理解し、楽しめるようになるための一冊だ。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

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伊東マンショ肖像画/遠藤周作『王の挽歌』(上下巻)新潮文庫

伊東マンショ肖像画

昨日の日曜日、宮崎県立美術館で公開されている、伊東マンショ肖像画を見に行った。

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あこがれの書見台、「今月のまとめ」はじめました/9月のまとめ

「今月のまとめ」はじめました

この『誤読と曲解の読書日記』は、今月から毎月末に「今月のまとめ」を更新します。内容はその月に更新した記事のまとめ、というそのままの内容ですが。。。

ただ、今月更新した記事をまとめただけでは物足りないので、なにか読書や本にまつわる話でも書きます。

さて、「今月のまとめ」をはじめた理由ですが、もうひとつ運営している映画の感想を書くブログ『誤読と曲解の映画日記』の方でも「今月のまとめ」を掲載しているので、こちらの読書の感想を書くブログでも「今月のまとめ」をはじめようかなと、思い立ったわけです。

また、今月はこの『誤読と曲解の読書日記』を、はてなダイアリーからはてなブログに引っ越しさせたので、「今月のまとめ」をはじめるいいタイミングかなと。こちらはあまりいい理由になってないような気もしますが。

そんなわけで、「今月のまとめ」もよろしくお願いいたします。

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馬鹿のバイブル、爆笑の爆弾/フィリップ・ロス(中野好夫・常盤新平訳)『素晴らしいアメリカ野球』新潮文庫(村上柴田翻訳堂)

ナンセンスと悪ふざけの濁流にただ身を任せる

『素晴らしいアメリカ野球』は、アメリカの作家フィリップ・ロスが1973年に発表した長編小説。この物語は、本拠地を失くした架空の放浪球団ルパート・マンディーズを中心に、やはり架空の大リーグである愛国リーグを舞台にした”アメリカ野球”を描いている。

本作は、解説の井上ひさしが「馬鹿のバイブル、爆笑の爆弾」と表現したような、めちゃくちゃな長編小説だ。あるいは、本書の帯にある「米文学史上最凶の悪ふざけ!」とのキャッチコピーがまさにふさわしい、やはりとにかくめちゃくちゃな小説だ。

『素晴らしいアメリカ野球』は、わたしたちをナンセンスと悪ふざけの濁流に巻き込む物語だと言えるだろう。この物語はわたしたちをいったいどこへ導こうとしているのかと、読んでいる途中で混乱と不安に陥ってしまうほどだ。

わたし自身、はじめはやたら長い語り口調のプロローグから、どうもうまく物語の世界に入り込めなかった。その理由として、語り手のスミティの罵倒語や過剰な言葉の濁流についていけなかったことがまずひとつ。次に、二十世紀初頭のアメリカ野球の知識がないので、そこで語られる野球について、いまひとつうまく理解できなかったから、というのが理由だ。

さらには、ヘミングウェイとの『素晴らしいアメリカ野球』をめぐる対話や、ナサニエルホーソンの『緋文字』、マーク・トウェインの『ハックルベリ・フィンの冒険』、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』を、それぞれアメリカ野球に絡めて語っているが、元ネタをすべて理解や把握をしているわけでもないので、ピンとこなかった。

以上のような理由で、プロローグを読んだ時点で「これはとんでもない本だなあ」と不安に陥った。だからこそ、ナンセンスと悪ふざけの濁流に身を任せて、一気に読むことをお勧めする。背景や元ネタを知らなくても、そこから教訓や変化や成長を読み取らなくても、過剰に押し寄せてくるナンセンスと悪ふざけの濁流にただ身を任せることでしか得られない類の読後感というものがあるはずだからだ。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

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