【特別編】茶色いものの話/バルザック(石井晴一訳)『艶笑滑稽譚 第一輯』岩波文庫
【特別編】茶色いものの話/バルザック(石井晴一訳)『艶笑滑稽譚 第一輯』岩波文庫:目次
- ルイ11世陛下のご遊楽
- いかに平静を保てるか
- こてこてと垂れ込める
- 参考リンク
今回は特別編です。
バレンタインデーにふさわしい茶色いものの話です。
ルイ11世陛下のご遊楽
文豪バルザックは長編から短編まで実にたくさんの作品を書いているが、最近は積ん読にしていた岩波文庫の『艶笑滑稽譚第一輯』を読んでいる。多くが1830年代に書かれた短編だが、そこに描かれた人間の滑稽さや欲望を求める姿は、今の時代のわたしたちが読んでも実に笑える。人間はまこと愉快な存在だ。
— のび (@nobitter73) 2018年2月11日
『第一輯』に収められた短篇の中では「ルイ11世陛下のご遊楽」が秀逸。これはルイ11世陛下は悪戯事が大好きな大変愉快な人柄だとした上で、そのご遊楽をいくつか紹介する形の短篇。あるとき、ルイ11世がお抱えの髭剃り役から枢機卿、スコットランド親衛隊長、高等法院の評定官などを集め会食を開く話。
— のび (@nobitter73) 2018年2月11日
※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。
生きる上で欠かすことのできない物語/小川洋子『物語の役割』ちくまプリマー新書
生きる上で欠かすことのできない物語/小川洋子『物語の役割』ちくまプリマー新書:目次
- 生きる上で欠かすことのできない物語
- 誰もが日々日常生活の中で作り出していく物語
- そんなものを自分が持っていたと気づいていないような落し物
- 子どものうちに物語に触れる大切さ
- 参考リンク
この記事は、Amazonほしい物リストから届いた本についての感想です。
改めまして、厚く御礼を申し上げます。
ありがとうございました。
【速報 JUST IN】Amazonほしい物リストから、本が届きました。この場を借りて厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。なお、届いた本は、小川洋子『物語の役割』ちくまプリマー新書です。 pic.twitter.com/yUkCbrslcG
— のび (@nobitter73) 2018年1月3日
生きる上で欠かすことのできない物語
本書はタイトルにもあるとおり、作家の小川洋子氏が「物語の役割」について語ったことを、一冊の本にまとめたものだ。小説や児童文学といった物語の世界をより深く知るために、「物語に最も近い場所にいる人間」(本書p9)である作家自身が語った言葉を収めている。
物語とは何かということからはじまり、作家が世界を丹念に観察し、世界の観察から物語が作家の中でどのように紡がれていくかという小説の創作過程までをも、自身の子ども時代からの読書体験とともに率直に語っていく一冊となっている。
作者小川洋子氏が語るように、わたしたちは本書を読むと「ああ、本を読むことは何と素晴らしいことであろうか」(本書p8)と再確認でき、ますます物語の世界が愛おしく思え、さらには生きる上で欠かせないものなのだという思いを改めて抱くことができる。やっぱり物語の世界に触れ、どっぷりと浸ることは素晴らしい体験をすることであり、人間にとって素晴らしい行為であるなあと、わたしは本書のあちこちで共感できた。
本書で語られたことは小説を読む人ならば、その物語がなぜ人々の心を揺さぶり、感動させることができるのかという物語の役割を、共感を持って理解できるのではないだろうか。
※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。
わけのわからなさを飲み込んで受け入れること/ルイス・キャロル(脇明子訳)『不思議の国のアリス』岩波少年文庫
わけのわからなさを飲み込んで受け入れること/ルイス・キャロル(脇明子訳)『不思議の国のアリス』岩波少年文庫:目次
- 想像が不安と恐怖を呼び起こす
- どんどん歩いてゆけば、どこかへはつくさ
- わけのわからない世界に触れた記憶
- 参考リンク
想像が不安と恐怖を呼び起こす
ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』は、「ユーモアと言葉あそびに満ちたイギリス児童文学の古典」(本書カバー)とうたわれるように、もはや内容について細かな説明を必要としない有名な物語である。
さて、わたしは大人になって初めて『アリス』の物語を本というかたちで読んだ。なぜならば、子どもの頃からずっと『アリス』に対して怖いイメージを抱いていたからである。
なぜ『アリス』に怖いイメージを抱いていたのかという理由だが、子どもの頃にディズニー版のアニメ映画を観たときに、「こんなわけのわからない奇妙な世界に迷い込んでしまうのはいやだし、自分だったらそんな世界から抜け出せないだろうな」という想像が不安と恐怖を呼び起こしたからだと思う。だから、子どもの頃のディズニー版の映画を観てからは、ずっと『不思議の国のアリス』を避けてきた。
※このあたりの経緯については、「2017年11月のまとめ」や『オズの魔法使い』についての記事にも書きましたので、これ以上深くは書きません。
さて、大人の視点で読んでみても、『不思議の国のアリス』の世界は相変わらずわけのわからない奇妙な世界の物語だった。もちろん、そこには英語ならではの言葉遊びや駄洒落とユーモア、それに作者ルイス・キャロルとその身近な親しい人々とのあいだでのみ通用する冗談が満ちているから、日本語で読んでも完全にはその面白さが理解できないという理由もある。もちろん、日本語で読んでも十分に楽しめる物語であることは言うまでもないが。
けれど、上記のような理由は物語全体のわけのわからなさの理由のすべてではない。そもそも物語の展開や登場人物たちの言動それ自体が、わけのわからないものだからである。けれども、そのわけのわからなさを、ひとまず自分の中にしっかりと飲み込んで受け入れることが、この物語を読む上で大切なことではないかという思いを抱いた。
※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。
嘘やぺてんのない、真摯でやさしい言葉にあふれた物語/ライマン・フランク・ボーム(河野万里子訳)『オズの魔法使い』新潮文庫
嘘やぺてんのない、真摯でやさしい言葉にあふれた物語/ライマン・フランク・ボーム(河野万里子訳)『オズの魔法使い』新潮文庫:目次
- 怖いイメージを抱いていた『オズの魔法使い』
- 父親による子どもたちへのメッセージ
- 嘘やぺてんのない、真摯な言葉たち
- 波乱に満ちた作者の人生
- 困難に直面しても諦めない姿勢
- 参考リンク
怖いイメージを抱いていた『オズの魔法使い』
『オズの魔法使い』は、言わずと知れた児童文学の古典である。
わたしは『オズの魔法使い』に怖いイメージをずっと抱いていた。なぜならば、ひょんなことから子どもが奇妙な異世界に迷い込んでしまうところに恐怖を感じるからだと言えるかもしれない。しかも、不可抗力で異世界に巻き込まれたのに、そこから元の世界に戻るために試練を乗り越えなければならないし、その試練を乗り越えないと元の世界に戻れなくなってしまうかもしれない、というところに恐怖や不条理を感じるからなのだろう。
わたしが『オズの魔法使い』に初めて触れたのは、おそらく実写版の映画を観たとき(小学校に入っているかいないかくらいだと思う)だが、そのときすでに、『オズの魔法使い』に心ときめく冒険映画との印象は受けなかった。ただ、こんなわけのわからない世界に迷い込んでしまうのはいやだなあと思いながら観ていた記憶がうっすらとある。なぜならばそれは、自分があのような奇妙でわけのわからない世界に迷い込んでしまったら、二度と抜け出すことができないだろうなという確信にも似た想像をしてしまうからだろう。
しかし、今回『オズの魔法使い』を読んで、そのイメージが少し変わった。友情と冒険の物語であり、海外ドラマのようにワクワクドキドキする展開が連続する物語であった。しかも、その底流には、親が自分の子どもを見守っているかのようなあたたかなまなざしがあることにも気づいた。
ただ、自分がこの物語のような奇妙な世界へとひょんなことで迷い込んでしまって、冒険をしないと故郷の町に帰れないと言われると、自分には物語の世界を抜け出す自信がないなあという不安にも似た気持ちは変わらないままだ。もちろん、それは『オズの魔法使い』の物語のせいではなく、あくまでも自分の受け止め方の問題でしかないことは言うまでもない。
※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。
愛憎と戦争とおっぱいとトラクター/藤原辰史『トラクターの世界史 人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち』中公新書
愛憎と戦争とおっぱいとトラクター/藤原辰史『トラクターの世界史 人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち』中公新書:目次
- 牧歌的なイメージが覆されてゆく一冊
- トラクターの光と夢
- 戦争とトラクター
- トラクターの文化的側面
- 参考リンク
中公新書の『トラクターの世界史』に、エルヴィス・プレスリーがトラクターに乗るのが趣味であったと書いてある。当時のアメリカ2大メーカーのトラクターを乗り回していたという。世の中いろんな趣味があるけど、トラクターを乗り回す趣味の人って世界でも数えるほどしかいないんじゃないか🚜🚜🚜
— のび@経済評論家() (@nobitter73) 2017年10月18日
本書によると、メジャーリーガーだったボブ・フェラー投手は、引退後にキャタピラー社製トラクターを収集しはじめたそうだ。父親はアイオワ州で最初のキャタピラーのトラクターを購入し、それが子ども時代の思い出となっているのが動機のようだが、世界にはいろんなコレクターが存在することを知る🚜
— のび@経済評論家() (@nobitter73) 2017年10月18日
牧歌的なイメージが覆されてゆく一冊
藤原辰史『トラクターの世界史 人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち』中公新書は、サブタイトルにもあるとおり、トラクターを<人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち>と位置づけ、トラクターの登場と発展が人類の歴史をどのように変えていったのかを描く。
わたし個人は、トラクターをはじめとする農業機械にそれほど興味があるわけではない。農家でもないので、トラクターを運転したこともなければ、稼働しているところを間近に見たこともない。郊外の田畑にあるトラクターを遠目に眺めるくらいのかかわりしかない。
だから、トラクターについては牧歌的なイメージが強かった。たとえば『ひつじのショーン』に登場する牧場主のおじさんが、トラクターを乗り回しているシーンが出てくる。作中でもトラクターは農作業の必需品であると同時に、牧歌的な農家の風景に欠かせない存在として描かれている。
けれども、本書を読み進めているうちにトラクターの牧歌的なイメージだけではない側面が次々にあぶり出されてゆく。石油や化学肥料の大量使用、土壌の圧縮、騒音と振動による作業者の身体への悪影響などなど。本書を読み終わる頃には、それまで抱いていたトラクター=牧歌的だという単純なイメージが覆されてしまうのだ。
※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。