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誤読と曲解の読書日記

読書の感想を書く日記です。あと、文具についても時々。

悪も滅び、善も滅んだ/W・シェイクスピア(福田恆存訳)『ハムレット』新潮文庫

読書

「善に対する悪の勝利」なのか

ウィリアム・シェイクスピアの『ハムレット』は、善に対する悪の勝利を描いた悲劇とひとまず位置付けられている。デンマーク王のクローディアスは、兄の先王ハムレットを殺して、その地位を簒奪した人物。のみならず、先王の妃ガードルードまでをも自分の妃とした。先王の息子ハムレット(この物語の主人公で、先王と同じ名前)は、そのようなおじのクローディアスと自分の母親でもあるガードルードを激しく憎む。

ハムレットは気が狂った風に自らを装って復讐の機会をうかがうが、クローディアスはそんなハムレットが腹に一物持っているのではないかと疑いはじめ、ハムレットをイギリスへ送ったあとで暗殺をしようと企む……、というのがこの物語のあらすじだ。

けれども、この物語は本当に「善に対する悪の勝利」を描いたものなのか、個人的には少し釈然としない。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

悪も滅び、善も滅んだ

たしかに悪の方、つまりクローディアスやガードルードなどは悪である。王のクローディアスは兄である先王ハムレットを殺し、先王の妃を自分の妃とした。しかも、先王と妃の間の息子であり次の王位継承者のハムレットをイギリスに送って暗殺してしまうことさえ企む人物だからだ。

では、この物語の主人公ハムレットの方は善なる存在なのだろうか。ハムレットは物語の構図の中で、クローディアスに対抗する善という立場として描かれる。自分の父親である先王をクローディアスに殺され、母親のガードルードもクローディアスの妃となってしまった。そのことに怒りを覚え、復讐に燃えるのは理解できる。

400年前の物語なので、先王の地位を簒奪した先王を殺し、復讐を果たそうとハムレットが思い立つのは不思議でもなんでもない。それに、悪を倒そうと決意して立ち上がるのは、この物語において善の存在として位置付けられるのも当然だ。

しかし、物語の結末からすると、なるほどたしかに善は悪に勝利したと言えるが、最終的には善が勝利を収めたわけではない。悪も滅んだが、善もまた同時に滅んだからだ。また、物語の舞台となったデンマークの国そのものが、ノルウェーの支配に委ねられてしまった。

だからむしろ、『ハムレット』は「善に対する悪の勝利」ではなく、「善も悪も滅んでしまった悲劇」と位置付けた方が、わたし個人としてはしっくりくる。

復讐にとらわれ、自らも滅びた

では、なぜ善もまた悪とともに滅んでしまったのだろうか? それは、あまりにもハムレットが”復讐”にとらわれてしまったからではないだろうか。

父親の先王から王の座を簒奪してしまったクローディアスを打ち倒すまでは理解できる。しかし、その後ハムレットスウェーデン国王に即位したあとのことは、物語の中ではいっさい考えられていない。ハムレットは国王としてのビジョンを持たなかったし、持とうともしなかった。

むしろ、ハムレットは自殺するために、あるいは自分の破滅を予感しているかのように、復讐を企てているように見えた。実際に物語のはじめにはハムレットがこう語る場面がある。「ああ、この穢らわしい体、どろどろに溶けて露になってしまえばよいのに。せめて、自殺を大罪とする神の掟さえなければ。ああ、どうしたらいいのだ、この世の営みいっさいが、つくづく厭になった」(本書p23)と。

ハムレットキリスト教なので、自殺することは堅く禁じられている。それでも、父親の先王の地位と母親をクローディアスに奪われ、自殺してしまいたいほどに絶望していた。けれども、自殺してしまうという選択肢はハムレットにはない。

だからこそ、「生か、死か、それが疑問だ」(本書p94)と思い悩むのである。このまま父親の王位と母親を奪ったクローディアスの下で王子として生きるという辱めを受け入れてしまうのか、それともいっそのこと生命を落とす危険を犯してクローディアスへの復讐を果たそうとするのか。ハムレットはそう思い悩む。結果として、ハムレットは復讐を果たそうと決意した。そして、逡巡しながらも復讐を果たさんと突き進む。

ハムレットに同情すべき点は、クローディアスという悪が存在したことだろう。先王を殺して国王の地位を手に入れ、妃までをも奪ったクローディアスといった悪が存在しなければ、ハムレットもまた復讐によって身を滅ぼすこともなかったからだ。けれども、そのクローディアスという悪の存在のせいで、ハムレットまで身を滅ぼしてしまった。その意味では、この物語はまさに悲劇である。
black rain

ハムレットの演技

ハムレットはこの物語を通じて、終始”狂ったふり”を続けている。言い換えれば、狂態を演じ続けているのだ。狂ったさまを演じるハムレットについて、本書の解説にはこうある。復讐に伴う狂態は、当時の復讐劇の定法であると。つまりは、演劇の構造の中で復讐心に燃えるハムレットが狂ったふりを演じる中で、どう動くのかが問題になるのだと。

ハムレットは演劇の構造の中で、復讐の道具、復讐の舞台装置の役割を与えられており、その役割に求められるまま、舞台の上で動く。言わば、演劇の構造の中で与えられた役割を果たすために動いているのだ。すなわち、ハムレットは演劇の構造の中で復讐の道具という枠組みから抜け出すことができない。復讐の道具の役割が果たされたとき、役割を果たし終えた自らも舞台から退場させられてしまうことが運命付けられているのだ。

ところで、ハムレットが狂ったふりをするのは、自分の復讐心をクローディアスに見抜かれないようにするためだが、ハムレット自身もまた狂態を演じることを楽しんでいるフシがある。

物語の中盤あたりに、ハムレットはクローディアスや妃ガードルードたちと一緒に、芝居を見物する場面がある。この芝居、先王のハムレットをクローディアスが殺したことを示唆する場面や、ガードルードを自分の妃としたことを示唆する場面を盛り込んでいる。その芝居を演じる役者たちに、ハムレットは嬉々として演技論を語る場面が描かれているからだ。

その瞬間、復讐の道具という役割から解き放たれた、本来ならばそうであっただろうハムレットの生き生きとした快活さが、わたしたちの目の前に現れる。ハムレットは本来、こんなふうに楽しげに演技について語る、明るく快活な青年だとわたしたちに思い出させる。

けれども、ハムレットは復讐の道具という枠組みに縛り付けられ、同時に自らもまた復讐に向かって突き進み、自らの身を滅ぼしてしまった。その結果、ハムレットは二重に縛り付けられた末の悲劇的な結末を迎えてしまったと言えるのではないだろうか。

復讐の引き伸ばし

本書の解説によると、復讐の遅延もまた、当時の復讐劇の定法であるという(本書解説p246)。ハムレットは、王を殺し復讐を果たす機会を得ながら、果たして今ここでクローディアスを殺してしまってもよいのだろうか、もっと適切な時期があるのではないだろうかと逡巡し、けっきょくその場では思いとどまる場面がある。

なぜ、ハムレットは復讐をさっと果たさないのだろうか? チャンスがめぐってきた途端、復讐を果たさなかったから、最後には自分の身を滅ぼしてしまうことになったのではないか? そのような疑問さえ、わたしたちは抱いてしまう。

「本当に今、復讐を果たしていいのか?」と苦悩するところは、ハムレットの人間らしさが出ているところだろう(本書p128-p129)。その後、覚悟を決めて剣で突き刺した相手は、王のクローディアスではなく宰相のポローニアスであった。ハムレットは王と間違えてポローニアスを突き刺してしまったのだ。

ところで、クローディアスがレイティアーズにハムレットを復讐というかたちで抹殺してしまおうとの企みを話す場面に、クローディアスのこんなセリフがある。「いかなる善も、つねに並みの高さを維持できはしない。からなず度をすごし、豊穣のうちに崩れ去るのが常。なすべきことは、思いたったときに、してしまうにかぎる。その一旦「思いたった」気もちというやつが、すでに曲者、あてにはならぬのだ」(本書p174)

父親のポローニアスをハムレットに殺された復讐を果たすために躊躇などしていられない、手はずが整い次第、すぐに果たしてしまおうと、クローディアスはレイティアーズをけしかける。ハムレットがいつまでも復讐を逡巡するのとは対照的な決断と行動の素早さとも言える。

その復讐を逡巡するハムレットと対照的に、素早い決断と実行を迫るクローディアス。物語の結末から考えると、やはり、ハムレットが復讐を逡巡する遅延が悲劇をもたらしたとも言えるかもしれない。
Sword

印象に残った言葉・フレーズ

ハムレット』で印象に残った言葉やフレーズを書き記しておこう。なお、ここでの訳は福田恆存訳(新潮文庫版『ハムレット』)に依っている。


「腹に思うても、口には出さぬこと、突飛な考えは実行にうつさぬこと。つきあいは親しんで狎れず、それがなにより。が、こいつはと思った友だちは、鎖で縛りつけても離すな。(さらに続く)」(本書p33-34)

オフィーリアの兄レイアーティーズがフランスに戻る直前、父親である宰相ポローニアスから受ける注意。ここでポローニアスは「二、三、言って聞かせたいことがある」と言いながらも、二つ、三つどころではないアドバイスを長々とレイティアーズに言って聞かせる。息子を思う父親の気持ちがあふれる場面だ。


「大衆というやつは、理性で判断するということを知らない。ただ目に見えるところだけで好悪を決めるのだ」(本書p146)

ハムレットが宰相のポローニアスを殺したあと、王のクローディアスが善後策を手配するときに言ったセリフ。人々はハムレットへの刑罰だけに注目して、ハムレットの犯した罪を見過ごしてしまう、このままではクローディアスが悪者になってしまうという危機感から発した言葉。王が「大衆」をどのように見ているかということを示した言葉でもあるし、ある意味では「大衆」の本質を突いた言葉とも言える。この言葉は今でも通用する言葉ではなかろうか。

参考

1)新潮文庫/『ハムレットウィリアム・シェイクスピア福田恆存
http://www.shinchosha.co.jp/book/202003/

2)ブクログ/『ハムレットウィリアム・シェイクスピア福田恆存
http://booklog.jp/item/1/4102020039


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