誤読と曲解の読書日記

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ひょっとすると、それは明日の日本の姿なのかもしれない/水島治郎『ポピュリズムとは何か 民主主義の敵か、改革の希望か』中公新書

ひょっとすると、それは明日の日本の姿なのかもしれない/水島治郎『ポピュリズムとは何か 民主主義の敵か、改革の希望か』中公新書:目次

ポリュリズムについて考えるための第一歩

水島治郎『ポピュリズムとは何か 民主主義の敵か、改革の希望か』中公新書

本書は、現在、世界的に広がりつつあるポピュリズムについて俯瞰的に眺め、ポピュリズムとデモクラシーの関係や今後の行方について考えるための一冊だと言える。本書の帯に「世界を揺さぶる「熱狂」の正体」とあるが、本書はまさにポピュリズムなる「熱狂」を、「一方的に断罪せず、その本質を見極めよ」(本書の帯より)と訴える。本書は、ポリュリズムについて考えるための第一歩として手に取れる一冊だ。

本書の目的は「この現代世界で最も顕著な政治現象であるポピュリズムを正面から取り上げ、解明を試みること」と位置付け、「特に、デモクラシーが根を下ろしたはずのヨーロッパ」の「先進各国において、ポピュリズム政党が猛威を振るい」、「国の基本的な方向をも左右しつつあることを、どう考えればいいのか」との問題意識を踏まえながら、現代のポピュリズムの姿を明らかにしていく(この項の「」内はいずれも本書pⅲ)。

2016年のイギリスのEU離脱をめぐる国民投票アメリカ大統領選挙、日本でも大阪維新の会の存在や東京の都民ファーストの会の躍進など、ポピュリズムに関連した話題を聞かない日はないと言ってもいいほどだ。しかし、ポピュリズムなるものの実態となると知っているようで知らないことも多い。

本書を読み進めていくと、うすら寒いものさえ感じる。本書で取り上げる事例は、多くがヨーロッパ諸国におけるポピュリズムであるが、西洋近代的価値観を共有する日本でもまた、似たような事例をいくつも思い浮かべてしまうからだ。

ここに描かれたのは、主に西洋近代的価値観を持つヨーロッパ諸国のポピュリズムの姿だが、これが明日の日本の姿なのかもしれないという思いは拭きれない。だからこそ、ポピュリズムとの向き合い方を考える上でも、さまざまな示唆に富む一冊でもある。
Donald Trump's Inauguration


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

ポピュリズムの持つ「解放と抑圧」

第1章は、まずポピュリズムの定義を確認する部分。本書を通じてポピュリズムを理解するための指針を掲げる。本書ではポピュリズムを「「エリートと人民」の対比を軸とする、政治運動としてのポピュリズム」(本書p8)と定義する。この定義を出発点に、第1章ではポピュリズムをさまざまな側面から特徴付け、果たして「ポピュリズムはデモクラシーの発展に寄与するといえるのか」との疑問を掲げる。わたしたちはここで提示された、この指針を手にして、次章以降を読み進めてゆく。

本書の第2章と第3章は、ポピュリズムの「解放と抑圧」のふたつの側面について眺める部分だ。

まず第2章では、ポピュリズムの持つ「解放」の側面を、19世紀末のアメリカ合衆国に登場したアメリカ人民党と、20世紀半ばのアルゼンチンにおけるペロニズムの例を挙げて、解明を試みる。政治状況や経済構造は異なれども、このふたつの国には社会に圧倒的な経済格差が存在し、労働者や農民からの既成政党や大企業へ対する反発が生まれていた。

そういった中で、ポピュリストたちがその怒りや不満をまとめ上げ、そこに社会的・政治的運動も加わってゆく。そうすることで、ポピュリストたちが支持を得ていくことが、アメリカ人民党やペロニズムの共通点として挙げられるだろう。ここでのポピュリズムとは、まさに人々を解放する役割を果したことが見て取れる。

つづく第3章では、「なぜ、二一世紀を迎え、デモクラシーが根づき、政治的・経済的に成熟期を迎えたはずのヨーロッパで、ポピュリズムが幅広い支持を獲得しているのか」(本書p60)との疑問を掲げ、現代ヨーロッパにおけるポピュリズム政党の置かれた状況を解明し、その上でポピュリズム政党の特徴を明らかにしてゆく。

具体的には、フランス、オーストリア、ベルギーにおけるポピュリズムの軌跡をみていくが、そこではポピュリズム側が「デモクラシーの真の担い手」(本書p69)として自認し、マスメディアやインターネットを活用しながら、反グローバル、エリート批判、移民排除を訴えていることが共通項として浮かび上がる。ここで特徴的なのが「抑圧」の側面だ。

特に、個人的に印象に残ったのは、ポピュリズム側の掲げる「福祉排外主義」の主張だ。すなわち、ポピュリズムの持つ「抑圧」の一面である。ここでは、極右政党として位置付けられるフランスの国民戦線が一例として挙げられている。国民戦線の主張とその支持者の中では、移民排除と福祉重視とが、密接に結びついているのだということが示される。

「リベラル」と「デモクラシー」を利用するポピュリズム

本書の第4章と第5章は、現代の民主主義国家、立憲主義国家が持つ「リベラル」な理念と「デモクラシー」的な制度を、ポピュリズムの側が積極的に利用して、その主張と躍進の土台にしていることを明らかにしてゆく部分だ。

第4章では、リベラルであるがゆえに移民排除を訴えるポピュリズム政党や政治家が、人々から一定の支持を集める現状を眺める。具体的には、環境・福祉先進国であるとされるデンマークとオランダにおけるポピュリズムの軌跡と現状について見てゆく。

それらのポピュリズム政党は従来の極右政党とは距離を置き、「デモクラシー的諸価値を前提として成立した政党」(本書p106)であることが明らかになる。さらには、「近代西洋の「リベラル的な価値」を前提とし、政教分離や男女平等を訴えるとともに、「近代的価値を受け入れない」移民やイスラム教徒への批判を展開する」(本書p107)政党でもあることがわかる。

第5章ではスイスでの事例を見てゆくが、そこでは「国民投票」というデモクラシー的な制度が、「今やポピュリズム政党の重要な政治資源として、政治のゆくえを大きく揺るがせている」(本書p132)現状を眺める。

スイスにおける国民投票制度は、そもそも中央政府の行動を抑える権力抑制的な仕組みであったのだが、今日では「まさにこの直接民主主義の象徴である国民投票こそが、ポピュリズム躍進の最大の武器になった」(本書p135)ことを示してゆく。

そこで明らかになるのは、「投票を通じて市民・国民が直接意思決定に関わるべきだとする国民投票住民投票を求める主張が、規制政治批判、既得権益批判を繰り広げるポピュリズム政党の主張と共通の根を持つこと」(本書p133)である。

現代の日本に生きるわたしたちも、現代の民主主義国家、立憲主義国家が持つ「リベラル」な理念と「デモクラシー」的な制度の下で自由に生きている。まさに「リベラル」と「デモクラシー」のおかげで、わたしたちは自由に生きることを保障されているのだが、その理念や制度を利用することで、外国人や移民を排除することを正当化していることを、まざまざと見せつけられるのである。
Democracy!

ひょっとすると、それは明日の日本の姿なのかもしれない

第6章では、イギリスのポピュリズム政党であるイギリス独立党と、2016年にイギリスで行われた、EUからの離脱を問う国民投票を取り上げる。ここで、筆者が特に焦点を当てるのは、いわゆる「置き去りにされた人々」(本書p162)の姿である。なぜなら、この「置き去りにされた人々」の存在が、「ポピュリズムの将来を考えるうえで示唆的である」(本書p162)からだ。

この章では、現代のイギリスにおいて深刻な世代間ギャップが存在することを示す。若年層は高学歴で専門職につく割合が増加し、一方で低学歴の労働者階級である中高年は雇用不安に直面しているという。

そのような人々の分断という状況が、イギリス社会全般として社会意識や価値観の分断にまでつながっているという。そしてイギリスの既成政党は、「この分断状況から目を背け、中高年の労働者層を「見捨てて」きた」(本書p176)ため、その層の不満をポピュリズム政党がすくい取ったことが示される。

第7章では、これまでみてきたポピュリズムの特徴をまとめ、グローバルに広がるポピュリズムと付き合い方を考える。

この章で個人的に印象に残ったのは、「引き下げデモクラシー」(本書p217)に触れた部分。特に公的部門が発達した西欧福祉国家において、ポピュリズム政党やそれを支持する人々が批判するのは、「その公的部門により「便益」を享受しているとされる人々」(本書p216)、具体的には、生活保護受給者、公務員、福祉給付の対象となりやすい移民や難民などである。

つまり、国家が行う「既存の制度による「再分配」によって保護された層を「特権者」と見なし、その「特権層」を引きずり下ろすことを」(本書p217)、ポピュリズム政党が訴え、既成政治に不満を抱く人々が支持をしていると指摘する。この状況は、日本でもさほど変わらないだろう。特にインターネット空間において、国家による再分配によって保護された人々を「特権層」と見なし、それを攻撃するという光景は、日常茶飯事だからだ。

しかし、ポピュリズムの登場は、すべてが否定されるわけでもないと、筆者は訴える。ポピュリズム西洋や政治家は既成政治に対する人々の不満を反映した存在であるとするのなら、むしろ既成政治の改革や活性化を促すこともあるとする。また、それまでタブー視されていた問題をあえて提起することによって、国民的な論争が活発化し、それが政治に反映されるのであれば、むしろ既成政治の側への信頼も増すだろうとの見方を示している。

その一方で、既成政治に対する不満や批判が、法治国家の枠内にとどまらず、それまでのリベラルな理念やデモクラシーの制度をも覆す存在となれば、制御不能になるリスクも抱えているとする。さらには、ポピュリズムの人々の不満は解消されずに「より暴力的な表現方法をとる可能性さえある」(本書p231)のだとする。

ポピュリズムの躍進は、今後どうなるのかはわからない。ポピュリズムには既成の政治を活性化させる可能性もあるし、近代民主主義国家が培ってきたリベラルな理念やデモクラシーの制度を破壊させてしまう可能性もある。ひょっとすると、それは明日の日本の姿なのかもしれないのだ。

ポピュリズムの行方は、有権者であるわたしたちひとりひとりにかかっていると言えるだろう。

参考リンク

1)中公新書/水島治郎『ポピュリズムとは何か 民主主義の敵か、改革の希望か』
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2016/12/102410.html

2)web中公新書/『ポピュリズムとは何か』水島治郎 インタビュー
www.chuko.co.jp

3)ブクログ/水島治郎『ポピュリズムとは何か 民主主義の敵か、改革の希望か』
booklog.jp


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