誤読と曲解の読書日記

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誰かが誰かを思いやり、時に心を傷ませながらも、信頼する誰かのために動き回る/E・ケストナー(池田香代子訳)『飛ぶ教室』岩波少年文庫

誰かが誰かを思いやり、時に心を傷ませながらも、信頼する誰かのために動き回る/E・ケストナー池田香代子訳)『飛ぶ教室岩波少年文庫:目次

ギムナジウムの生徒たちに、かつて子どもだったわたしたちを重ねる

エーリヒ・ケストナー池田香代子訳)『飛ぶ教室岩波少年文庫

エーリヒ・ケストナーの『飛ぶ教室』は、ドイツのギムナジウムを舞台にした児童文学。クリスマスの前後で繰り広げられるギムナジウムの生徒たちの成長を描く物語だ。本書のタイトルにもなっている「飛ぶ教室」とは、クリスマスに上演されるギムナジウムの生徒たちによる演劇のタイトルでもある。

飛ぶ教室』は児童文学なので、対象となる読者の年齢は10代前半あたりになるだろう。実際に、この岩波少年文庫版のカバーの裏表紙には、読者の対象として「小学4・5年以上」とある。しかし、大人になってしまったわたしたち、かつて子どもだったわたしたちが読み返しても、心を揺さぶられる。それはギムナジウムの生徒たちに、かつて子どもだったわたしたちを重ね、愛おしさと切なさを感じるからだ。

※この物語の舞台となっている「ギムナジウム」とは、10歳から18歳くらいまでの男の子たちが入る寄宿学校のこと。子どもたちは、この寄宿学校で仲間たちと寝食をともにし、勉学に励むようだ。

飛ぶ教室』を通じて描かれるのは、「勇気ある者と臆病な者の、かしこい者とおろかな者の物語になる予定だ」(本書p26)と、「まえがき」にある作者ケストナーの語りが予告してある。これはその直前の部分で作者ケストナーが語った、「かしこさをともなわない勇気」と「勇気をともなわないかしこさ」についての話とつながっているのだろう。

その一節は次のように語られている。「かしこさをともなわない勇気は乱暴でしかないし、勇気をともなわないかしこさは屁のようなものなんだよ! 世界の歴史には、かしこくない人びとが勇気をもち、かしこい人びとが臆病だった時代がいくらでもあった。これは正しいことではなかった」(本書p25)。

この物語の登場人物たちの多くは、臆病さ、愚かさ、かしこさをともなわない勇気、勇気をともなわないかしこさを抱えている。それらは登場人物たちの欠点であり、弱点だ。『飛ぶ教室』の登場人物たちは、物語を通じて、自らが抱える欠点や弱点を克服し、成長してゆく。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

マルティンの抱えているもの

ギムナジウムの生徒マルティン・ターラーは、臆病さと、勇気をともなわないかしこさを抱えている登場人物だと言える。ギムナジウムの友人マティアスによると、マルティンは「ヨーロッパでいちばん痛快な優等生」(本書p67)だ。そして同時に、絵の才能に恵まれた生徒でもある。

マルティンは両親へのクリスマスプレゼントにするため、「十年後」というタイトルの絵を描いた。「両親を遠いめずらしい国ぐににつれていけるくらいお金をもうけるからねと、言っているよう」(本書p122)な夢に満ちた絵だ。マルティンは、自分の描いたこの絵とともに、クリスマスに両親の待つ家に戻る予定だった。

そんなマルティンの両親は貧しい生活を送る。だからマルティンは「授業料半額免除の特待生だし、奨学金だってもらっている」(本書p67)生徒である。クリスマスが近づく頃、両親から帰省のための切符代を送れないから、クリスマスは寄宿舎に残るよう伝える手紙がマルティンの元に届く。ショックを受けるが、それも仕方ないと諦めるマルティン。でも心の底では、クリスマスに帰省して両親に会いたい気持ちがあふれて仕方ない。

マルティンは切符代がないためクリスマスには両親の元に帰れないことを、友達や先生にも打ち明けることができずに明るく普段どおりに振る舞う。けれどひとりになると、誰にも知られないようにそっと泣き、苦しむのだ。このようにマルティンは貧しさからくる悲しみや苦しみを抱えている。そして、そのことを誰にも相談できないという孤独を抱えている。その姿は切なく、わたしたちは思わず手を差し伸べて応援したくなるほどだ。

作者ケストナーはこの物語の中で、マルティンに手を差し伸べる人物を描く。信頼できる大人がすぐそばに存在することを、この物語の読者である子どもたちに伝えるのだ。そして同時に、信頼できる大人に心を開く大切さも描いている。すぐそばに信頼できる大人がいたからこそ、マルティンは両親に自らが描いた絵を贈ることもできたと言える。

きっとマルティンは両親からプレゼントされた色鉛筆で、たくさんの絵を描き続けるだろう。そして子どもの頃に抱えた悲しみや苦しみを忘れない大人になるのだろう。将来は画家になるとの夢を叶えて、幸せになることを、わたしたちは願ってやまない。
Coloured Pencils

孤独のままに生きるより、誰かのために生きた方がいい

ギムナジウムに隣接する市民農園に、不思議な大人が住んでいる。子どもたちから「禁煙さん」と呼ばれるこの人は、自分が借りた市民農園の区画に、ドイツ帝国鉄道から払い下げられた客車を置いて住んでいるのだ。その客車には「禁煙車」と書かれたプレートがあるが、禁煙さんはたばこを「すいすぎるほどすう」(本書p45)大人だ。

子どもたちが尊敬するギムナジウムの舎監で、みんなから「正義さん」と呼ばれているベク先生に相談するのが難しい問題が起こると、みんなは「いそいで柵をのりこえて、禁煙さんのところへ相談に行く」(本書p53)ほどだ。それだけギムナジウムの子どもたちは、禁煙さんのことが大好きで、とても尊敬し、慕っているのだ。

そして子どもたちは「たしかなのは、禁煙さんがセンスも頭もいい人で、なのにこれまでの人生でいろいろと悲しい目にあってきたらしい」(本書p53)ことを嗅ぎ取っている。だから、「禁煙さんがひとりぼっちなのはわかっていた。みんなはそれが気の毒でならなかった」(本書p52)。だから、ギムナジウムの子どもたちは、クリスマスイブにお金を出しあって、プレゼントを渡すことを計画している。

子どもたちが感じているように、禁煙さんは大きな不幸に見舞われ、深い孤独を味わった人だ。だから、ひとりで市民農園に置いた禁煙車に住み、ピアノを弾くという暮らしを選んだのだ。けれども、禁煙さんもやはり愚かであり臆病な部分があるとも言える。それに勇気をともなわないかしこさも抱えている。それは、禁煙さんは悲しい過去を抱えたまま、この先もずっと行き場のない孤独を味わい続ける生活を続けるのだろうか。わたしたちにそんな心配にも似た感情を抱かせるからだ。

もちろん、孤独であること、不幸を味わうこと、それ自体が悪というわけではない。禁煙さん自身、それらを味わうことで「なにがたいせつかということに思いをめぐらす時間をもつ人間」(本書p180)となった。

そんな禁煙さんは、「金も地位も名声も、しょせん子どもじみたことだ。おもちゃだ。それ以上じゃない。ほんもののおとななら、そんなことは意に介さないはずだ」(本書p180)との境地にたどり着く。そのような境地は大きな不幸に見舞われ、孤独を味わう中でしか得られないものかもしれない。

けれども、孤独や不幸にとらわれ過ぎてもいけない。だからこそ作者ケストナーは、禁煙さんに手を差し伸べる人物を登場させる。その人物のおかげで、禁煙さんはギムナジウムの子どもたちの健康を守るために一肌脱ぐ決意をする。

禁煙さんは信頼できる誰かが差し伸べて手をつかみ、信頼できる誰かのために尽くそうと決意した。そうすることで孤独から抜け出し、かしこさをともなった勇気を持った大人として、新しい一歩を歩みはじめるのだ。もちろん、大きな不幸を味わったという悲しみは、一生消えることはないかもしれない。でも、孤独のままに生きるより、誰かのために生きた方がいい。ケストナーはそんなことを伝えているのかもしれない。

誰かが誰かを思いやり、時に心を傷ませながらも、信頼する誰かのために動き回る

飛ぶ教室』は本編の物語とともに、作者ケストナーによる「まえがき」の部分も魅力的だ。大人になった今、そこで語られている言葉のひとつひとつが胸にしみるからだ。それは、まえがきで語るケストナーの言葉が、忘れそうになったもの、失いかけてしまいそうになったことを、大人になったわたしたちに思い出させるからだろう。

たとえば、「どうしておとなは、自分のこどものころをすっかり忘れてしまい、子どもたちにはときには悲しいことやみじめなことだってあるということを、ある日とつぜん、まったく理解できなくなってしまうのだろう」(本書p19)という一節がある。

大人になってしまったわたしたちがこの物語を読むと、いかに子ども時代の頃を忘れてしまっているかがよくわかる。歳を重ねるごとに薄れゆく子ども時代の記憶の輝き、それは楽しいことだけでなく悲しいこともったことを、この物語は私たちに思い出させる。それだけにいっそう、この物語の登場人物たちがみなそれぞれ愛おしく感じられるのだ。

飛ぶ教室』に登場する主な子どもたちは、それぞれが次のように個性的な人物だ。幼い頃に父親から捨てられた過去を持つヨーナタン・”ジョニー”・トロッツ、家が貧しい優等生のマルティン・ターラー、クールな性格のゼバスティアーン・フランク、ボクサーを目指す腕っぷしの強いアティアス・ゼルプマン、臆病な性格のちびのウーリ・フォン・ジンメルン。

また、そんな子どもたちを見守る大人たちもまた個性的である。子どもたちから「正義さん」と呼ばれ、慕われているヨーハン・ベク先生。そして、ギムナジウムの隣の市民農園に鉄道の客車を置いて生活する「禁煙さん」。

飛ぶ教室』は、このような個性的な子どもたちの、そして子どもたちを見守るやさしい大人たちの成長物語だ。子どもたちも大人たちも、誰かが誰かを思いやり、時に心を傷ませながらも、信頼する誰かのために動き回る。そういった優しさに満ちた作者ケストナーのまなざしが、この物語の最大の魅力なのだろうし、長年にわたって世界中で愛読されてきた理由なのだろう。

この物語について

この『飛ぶ教室』が書かれたのは1933年。ナチスが政権を取った年。本書「訳者あとがき」によると、ケストナーナチスにとって好ましくない作家だったので、図書館の本棚からケストナーの本が取り除かれたとある。とにかく、ドイツ国内がそのような時期に、このクリスマス物語は書かれた。

だから、この物語の登場人物が口にする言葉のひとつひとつも、ナチスへの批判、そのナチスの行状を見て見ぬ振りをした人々への批判とも読める。そして同時に、その言葉が今現在も十分に通用することに、わたしたちは大いに驚くのだ。

参考リンク

1)岩波少年文庫/『飛ぶ教室エーリヒ・ケストナー池田香代子
https://www.iwanami.co.jp/book/b269616.html

2)ブクログ/『飛ぶ教室エーリヒ・ケストナー池田香代子
booklog.jp


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