誤読と曲解の読書日記

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疑問を抱き、言葉にして問い続けること/国谷裕子『キャスターという仕事』岩波新書

疑問を抱き、言葉にして問い続けること/国谷裕子『キャスターという仕事』岩波新書:目次

テレビ報道の危うさや難しさを知り尽くしているからこそ

国谷裕子『キャスターという仕事』岩波新書

本書は国谷裕子氏が「キャスターという仕事」に、いかに真摯に向き合ってきたかがわかる一冊。国谷裕子氏は、NHK総合の報道番組〈クローズアップ現代〉のキャスターを、1993年から2016年まで23年間務めてきた。

わたし自身もときどき(すみません。「いつも必ず」とか、「よく」という程度ではなかったとの意味です)、〈クローズアップ現代〉を視聴していたが、番組終了間際ぎりぎりまでゲストに質問をぶつけ、言葉を引き出そうとする国谷氏の姿が印象に残っている。

そこには、台本や予定調和を超えた、少しでも問題の核心に迫ろう、解決策を探ろうという国谷氏の強い姿勢が感じられたものだ。そしてまさに、終了時間間際ぎりぎりまで言葉を引き出そうとする姿勢そのものが、国谷氏がキャスターを務めていた〈クローズアップ現代〉の醍醐味そのものであったように思える。

本書はまず、国谷氏自身がキャスターという仕事の経験を振り返りながら、「言葉の力を信じて、キャスターという仕事とは何かを模索してきた旅の記録」(本書帯より)である。この「旅の記録」は、本書の第2章から第9章までの部分を占める。言わば、本書のメインとも言える部分だ。

同時にまた本書は、テレビ報道への危機感に満ちた一冊でもある。本書では第1章と第10章、そして終章とあとがきの部分が該当する。テレビ報道の危うさ、難しさを知り尽くした国谷氏による危機感は、わたしたち一般のテレビ視聴者がテレビ報道に接するときの意識や態度にも共有されるべきものだろう。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

同調圧力に抗するために

第2章から第9章までの、この本のメインとも言えるこの部分は、〈クローズアップ現代〉という報道番組の制作過程と進行の過程に沿って、キャスターの国谷氏が「キャスターという仕事」に、どのように取り組んでいたのかを語る部分だ。

ここでは国谷氏が、〈クローズアップ現代〉のキャスターを務める以前の出来事から、自らのキャリアや経験を振り返り返っている。そこには自負もあり反省もあり、実に正直に自らの心情を吐露している。そんな国谷氏の姿勢は、真摯そのものである。

この「キャスターという仕事」について語る部分を読むと、国谷氏が問いや疑問を大切にしていたかということがわかる。わたしの理解をまとめると、「疑問を抱き、言葉にして問い続けること」、それが「キャスターという仕事」の大きな核なのだろう。

疑問を抱き、言葉にして問い続けること、それはテレビの報道番組のキャスターのみならず、わたしたちにも必要な行為なのではないかとの思いをわたしは抱いた。それはテレビの視聴者としてのわたしたちはもちろん、もっと広く、社会の一員として、そして個人として必要な行為だと言えるだろう。

本書でも触れられているが、ともすればわたしたち個人は、社会の「同調圧力」に流されてしまうことがある。本書では「同調圧力」を、「多数意見と異なるものへの反発や、多数意見への同意、あるいは同意を促す雰囲気のようなもの」(本書p159)と位置付ける。メディアや報道機関は本来、そのような同調圧力に抗すべきだが、むしろ「その同調圧力に加担するようになってはいないだろうか」(本書p159)と、国谷氏は危機感を表す。

だからこそ、メディアや報道機関、そしてニュース番組は時代や社会の大きな流れの中で立ち止まり、想像力を持ち、全体を俯瞰し、ものごとの後ろに隠れている事実を洞察する力が必要とされている。本書のあちこちから、国谷氏のそんな訴えが聞こえる。そしてまた、多角的な視点で情報を得られるテレビの報道番組が求めれらているとも訴えるのだ。わたしも大いに同意する部分だ。

わたしたち個人にできること、そしてひとりのテレビ視聴者としてできることは、疑問を抱き、言葉にして問い続けることなのだろう。そのことが、わたしたちが同調圧力に抗するためにできることのひとつの手段ではないだろうか。

「待つこと」と「沈黙すること」

本書を通じて印象に残ったのが、国谷氏が俳優の高倉健氏にインタビューをしたときのエピソードだ。国谷氏がインタビューを開始し、質問を重ねても高倉健氏からは短くそっけない返事が返ってくるだけで、対話もまったく弾まなかったそうだ。やがて国谷氏は、話が途切れても待つと決めたという。この部分は、「待つこと」と「沈黙すること」の大切さが、非常によく出ているエピソードだと思う。

質問する側が相手の言葉を「待つ」ことは、非常にもどかしいことかもしれない。特に時間に限りのあるテレビの場合ではなおさらだろう。聞きたいことがたくさんあって、それを質問できないのは、ある種の損失でもあるからだ。

しかし、相手の言葉を「待つ」ことによって、質問だけしていただけでは聞けないような良い話を聞けることがあるのだと、国谷氏は高倉健氏とのインタビューで実際に体験した経験を交えて語る。インタビューの中で、高倉健氏は国谷氏の使徒問に対して17秒もの沈黙をした。その沈黙のあとに返ってきた高倉健氏の言葉によって、その場のその瞬間でしか出てこなかったであろう言葉に、国谷氏は出会うことができたのだ。

逆に、質問される側にとって「沈黙すること」とはどういうことなのだろう。本書では国谷氏の意見などは出ていないので、ここはわたしが推測することしかできない。沈黙には、適切な言葉が出てこない場合、話の順序をどう組み立てて良いのか考えている場合など、いくつかの種類があるだろう。

そのような「沈黙すること」は、自分の中を深く探り、適切な言葉を見つけ、どう言葉を組み立てれば相手にきちんと言いたいことが伝わるか、ということを考える時間なのではないだろうか。もっと言えば、「沈黙すること」とは、より自分を深く理解し、相手のことを慮る時間とも言えるだろう。

考えてみると、テレビの報道番組だけでなく、わたしたちの社会生活や日常生活においても、もう少し「待つこと」「沈黙すること」が必要なのではないかとさえ思えてくる。

ひとりのテレビ視聴者として

本書の第1章と第10章、そして終章とあとがきは、テレビ報道への危機感に満ちた部分だ。第1章のタイトルにもなっている「ハルバースタムの警告」が、本書を貫くテレビ報道への危機感の根底にある。デイビット・ハルバースタム、彼は「ニューヨーク・タイムズ紙の記者としてベトナム戦争を取材、そのリポートによりピューリッツァー賞を受賞したアメリカの著名なジャーナリスト」(本書p7)だ。

ハルバースタム氏はテレビの特性を、話の内容がどんなに大切でも映像のインパクトを優先する、そのためテレビが伝える真実は映像であり言葉ではない、だから複雑な政治問題や思想、様々な行為の重要性について伝えることはできないとしていることを、本書では紹介する。

テレビにそういったネガティブな特性があるからこそ、国谷氏は「言葉の力」を大切にすることを決意したという。そして「キャスターとして「想像力」「常に全体から俯瞰する力」「ものごとの後ろに隠れている事実を洞察する力」、そうした力を持つことの大切さ、映像では見えない部分への想像力を言葉の力で喚起することを大事にしながら」(本書p12)、キャスターという仕事に取り組み続けたという。

ところで、ここに挙げられている「想像力」「常に全体から俯瞰する力」「ものごとの後ろに隠れている事実を洞察する力」、そして「映像では見えない部分への想像力」というのは、テレビ報道に携わるキャスターのみならず、テレビ視聴者としてのわたしたち、そして社会生活や日常生活を営むわたしたちにも必要な力なのではないだろうか。

もちろん、「想像力」「常に全体から俯瞰する力」「ものごとの後ろに隠れている事実を洞察する力」を発揮するためには、一定の材料が必要となる。その材料を提供するひとつがテレビ報道だろう。本書をみてきたように、テレビ報道には危うさがつきものである。

だからこそわたしたちには、本書で訴えられているようなテレビ報道の危うさを知り、そして常に問いを発し続けていかなくてはならないのだと痛感した。

「客観的な事実や感情的な訴えかけのほうが人々に影響を与え、世論形成に大きなインパクトをもたらす」(本書あとがきより)ポスト真実が跋扈する現在だからこそ、〈クローズアップ現代〉のようなテレビ報道番組が、本来はより必要性・重要性を増してきているのではないだろうか。

それにしても、国谷裕子氏がキャスターを務める〈クローズアップ現代〉が、テレビから失われてしまったのは、非常に残念なことである。願わくば、かつての〈クローズアップ現代〉のような報道番組が、もっとこの日本に増えることを、ひとりのテレビ視聴者として願うばかりだ。

参考リンク

1)岩波新書/『キャスターという仕事』
https://www.iwanami.co.jp/book/b279043.html

2)ブクログ/『キャスターという仕事』
booklog.jp


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