歴史修正主義と向き合うために/吉田裕『日本人の歴史認識と東京裁判』岩波ブックレット
歴史修正主義と向き合うために/吉田裕『日本人の歴史認識と東京裁判』岩波ブックレット:目次
歴史修正主義への反駁
「歴史修正主義とどのように向き合うべきか」というフレーズに惹かれて読んでみようと手に取った。現代史における東京裁判の位置付けを行い、いわゆる「東京裁判史観克服論」を検証することで、歴史修正主義の限界を見てゆく一冊。2018年11月に行われた著者の講演に加筆したもの。だから、読みやすくてわかりやすい。
本書ではアジア・太平洋戦争に対する歴史認識や東京裁判、そして歴史修正主義を考える上での基礎的な知識と今日的な見解を押さえることができる。具体的には「東京裁判の判決は連合国からの一方的な押し付けだ」、「GHQは『ウォー・ギルド・プログラム』を通じて日本人へ洗脳工作を行った」などといった歴史修正主義者の唱える俗論に対し、近年の研究成果を踏まえた上で反駁してゆく。
以下、各章で印象に残った点を紹介する。
正直、何が評価されたのか/今週のお題:わたしの自由研究
正直、何が評価されたのか/今週のお題「わたしの自由研究」:目次
- 橋やトンネルの数
- なぜか入賞してしまった自由研究
- 人々はなぜ「自由研究」を苦手とするのか?
- 自由研究とは何か?
- 大人になっても「自由研究」している人々
※この記事は、はてなブログの「今週のお題」に参加するものです。
橋やトンネルの数
小学生だったわたしは、メモ帳と鉛筆を手に父親の運転する車の助手席に乗っていた。後部座席には母親と兄弟。車は宮崎県と鹿児島県を結ぶ高速道路を鹿児島方面に向かってひた走っているところだ。
川にかかる橋がやってくるたびにわたしはメモ帳の「正」の文字を一画足してゆく。あるいはトンネルに入るたびに「正」の文字を一画足す。わたしは橋のひとつ、トンネルのひとつでも記録しようと、常に前方の風景に注意を払っていた。またひとつトンネルが近づき、わたしはメモ帳に線をひとつ書き加える……。
これは小学生だったわたしがまさに自由研究をやっているときの様子です。夏休みに行われたささやかな家族旅行のついでに、旅行中にどれだけの数の橋やトンネルと遭遇したかの数をカウントし、それを自由研究として発表したことがある。
過去の遺物ではない後醍醐天皇という存在とその企て/兵藤裕己 『後醍醐天皇』岩波新書
過去の遺物ではないことを明らかに
兵藤裕己 『後醍醐天皇』岩波新書。「賢才」あるいは「物狂」と相反する評価の下る後醍醐天皇像に迫る一冊。後醍醐天皇の企てが明治政府、そして現代の天皇制にまで影響を与えているとの指摘が刺激的。後醍醐天皇の存在と企てはけっして過去の遺物ではなく、今まさに我々のそばにあるのだ🌸🍵🌸🍵🌸 pic.twitter.com/7MsWrTNWQn
— のび (@nobitter73) 2019年3月13日
個人的に日本中世史に関する本を色々読んでたら、朝廷が南北朝に分裂する発端となった後醍醐天皇に興味を持ったので本書を読むことに。
著者は日本中世文学の研究者で、岩波文庫から出た『太平記』の校注を担当。
本書も『太平記』をはじめとした中世の文献の記述を読み解いてゆく。
短い鉛筆を使うために謎の工作をはじめてしまった件
また謎の工作をはじめてしまう
また謎の工作を始めてしまう。 pic.twitter.com/452Dc4Exwb
— のびゲートウェイ (@nobitter73) 2019年2月27日
本を愛するすべての人への物語/ガブリエル・ぜヴィン『書店主フィクリーのものがたり』ハヤカワepi文庫
本を愛する者たちが必死に生きる姿を描く
ガブリエル・ぜヴィン『書店主フィクリーのものがたり』ハヤカワepi文庫。30代後半で妻を亡くした偏屈な書店主フィクリーの心の角がゆっくりと丸くなっていく様子を描く。本を愛する者たちが必死に生きる姿が、じわじわとあたたかな感動を生む。たくさんの作家や小説に言及するので、読書好きはぜひ。 pic.twitter.com/64dVySQvAB
— のびゲートウェイ (@nobitter73) 2019年2月24日
この物語の舞台は架空のアリス島。フィクリーの亡くなった妻の故郷であり、その妻が書店を開こうと持ちかけた。妻が悲劇的な事故で亡くなったあと、フィクリーは妻のいない日々を酒で埋めていた。妻の亡霊にしがみつくように。ある日、置き去りにされた赤ん坊を見つけたときから物語が動きはじめる。
— のびゲートウェイ (@nobitter73) 2019年2月24日