過去の遺物ではないことを明らかに
兵藤裕己 『後醍醐天皇』岩波新書。「賢才」あるいは「物狂」と相反する評価の下る後醍醐天皇像に迫る一冊。後醍醐天皇の企てが明治政府、そして現代の天皇制にまで影響を与えているとの指摘が刺激的。後醍醐天皇の存在と企てはけっして過去の遺物ではなく、今まさに我々のそばにあるのだ🌸🍵🌸🍵🌸 pic.twitter.com/7MsWrTNWQn
— のび (@nobitter73) 2019年3月13日
個人的に日本中世史に関する本を色々読んでたら、朝廷が南北朝に分裂する発端となった後醍醐天皇に興味を持ったので本書を読むことに。
著者は日本中世文学の研究者で、岩波文庫から出た『太平記』の校注を担当。
本書も『太平記』をはじめとした中世の文献の記述を読み解いてゆく。
近代日本と後醍醐天皇
後醍醐天皇の企ては建武の一時期だけではなく、明治新政府の作り出した日本の近代に影響を及ぼしたと本書は指摘する。後醍醐天皇は建武の新政により摂政・関白など公家の門流支配を廃止。明治新政府は王政復古の大号令を出し、将軍と幕府を廃止。ともに「一君万民」的な政体を作り上げた共通点がある。
— のび (@nobitter73) 2019年3月13日
この辺りの指摘は刺激的で面白い。南北朝時代の人物が、近代国家である明治新政府の根幹の思想にも影響を与えているとの指摘が、本書のキモと言えよう。
バサラ大名佐々木道誉
個人的に興味深かったのが、佐々木道誉のバサラの振る舞い。管領の細川清氏が将軍足利義詮を自邸に迎えての歌会を計画していた。そのまさに当日に道誉は豪勢な闘茶の会を催し、将軍足利義詮の歌会への出席を取りやめさせてしまう。面目を失った清氏は道誉の讒言もあり、没落してゆく。
— のび (@nobitter73) 2019年3月13日
道誉の催した闘茶の会や連歌会など「無礼講」と呼ばれるバサラの芸能空間は、そもそもは後醍醐天皇の宮廷で開かれていたもの。そこは世俗的な身分や既存の序列が無化され、門閥や家格、つまり公家の門流支配のヒエラルキーを無視・否定された場であったと本書は指摘する。
— のび (@nobitter73) 2019年3月13日
後醍醐天皇の「無礼講」は、中下級の貴族や僧侶たちとの直接の交流を生み、鎌倉幕府の倒幕や親政の計画を企てる場として機能していたと本書は指摘する。それは取りも直さず、既存のヒエラルキー、言い換えれば身分制社会を破壊する企てなのであった。
— のび (@nobitter73) 2019年3月13日
蛇足
そういうわけで、お前らもバサラ大名佐々木道誉の先例に従い、嫌な飲み会が開かれそうになったら、同じ日の同じ時間帯に、別の飲み会をセッティングして、嫌な奴の面目を潰すというライフハックを実行しようではないか。
— のび (@nobitter73) 2019年3月13日
参考リンク
1)岩波新書/兵藤裕己 『後醍醐天皇』
www.iwanami.co.jp
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