誤読と曲解の読書日記

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生きる上で欠かすことのできない物語/小川洋子『物語の役割』ちくまプリマー新書

生きる上で欠かすことのできない物語/小川洋子『物語の役割』ちくまプリマー新書:目次

この記事は、Amazonほしい物リストから届いた本についての感想です。
改めまして、厚く御礼を申し上げます。
ありがとうございました。

生きる上で欠かすことのできない物語

小川洋子『物語の役割』ちくまプリマー新書

本書はタイトルにもあるとおり、作家の小川洋子氏が「物語の役割」について語ったことを、一冊の本にまとめたものだ。小説や児童文学といった物語の世界をより深く知るために、「物語に最も近い場所にいる人間」(本書p9)である作家自身が語った言葉を収めている。

物語とは何かということからはじまり、作家が世界を丹念に観察し、世界の観察から物語が作家の中でどのように紡がれていくかという小説の創作過程までをも、自身の子ども時代からの読書体験とともに率直に語っていく一冊となっている。

作者小川洋子氏が語るように、わたしたちは本書を読むと「ああ、本を読むことは何と素晴らしいことであろうか」(本書p8)と再確認でき、ますます物語の世界が愛おしく思え、さらには生きる上で欠かせないものなのだという思いを改めて抱くことができる。やっぱり物語の世界に触れ、どっぷりと浸ることは素晴らしい体験をすることであり、人間にとって素晴らしい行為であるなあと、わたしは本書のあちこちで共感できた。

本書で語られたことは小説を読む人ならば、その物語がなぜ人々の心を揺さぶり、感動させることができるのかという物語の役割を、共感を持って理解できるのではないだろうか。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

誰もが日々日常生活の中で作り出していく物語

「第一部 物語の役割」では、物語は特別の才能のある作家だけが作り上げるものではなく、人は誰もが物語を作り出しているということが語られている。

たとえばホロコーストであったり、日航ジャンボ機墜落事故といった悲惨な(という言葉では到底言い表しがたいほどの)現実に直面した人々が、その現実をそのまま受け入れることができないとき、その悲惨な現実をどうにかして受け入れられる形に転換する働きが物語だと位置付ける。もちろん、それは悲惨な現実だけではなく、心温まるような出来事もほぼ同様だ。

しかし、人々は必ずしもそういった物語を言葉にして紡いでいるわけではない。「現実のなかにすでにあるけれども、言葉にされないために気づかれないでいる物語を見つけ出」(本書p50)し、それに言葉を与えることが作家の役割だと筆者は語っている。

物語は「誰もが日々日常生活の中で作り出していく」(本書p22)ものであるからこそ、小説には多くの人々が共感できる普遍的な物語の断片が詰められている。だから言語や時代背景が異なっても、普遍的に人々の心を揺さぶることができるのだろう。

そんなものを自分が持っていたと気づいていないような落し物

「第二部 物語が生まれる瞬間」では、小川洋子氏自身の個人的な創作現場について語る部分となっている。同氏の短編「リンデンバウム通りの双子」を引き合いに、短編小説が生み出される過程が率直に語られている。

印象に残った部分は、小説を書くことを山登りに例えた部分だ。作家は山登りをしている人々の最後尾を歩く役割を持っていると筆者は主張する。山登りをする人たちが人知れず落としたものやこぼれ落ちたもの、「落とした本人にさえ、そんなものを自分が持っていたと気づいていないような落し物」(本書p75)を拾い集めるのが作家であり、作家は「それが確かにこの世に存在したんだという印を残すために小説の形にしている」(本書p75)と語る。

わたしたち小説の読者もまたひとりの人間であり、山登りをする人間だと言えるだろうとわたしは考える。わたしたちは日々山登りをしているが、知らず識らずのうちに無くしたもの、失ったもの、落としたものがたくさんあるはずだ。その落としたものは、かつて自分を形づくるための一部であったかもしれないのだ。作家はそういったものを拾い集め、言葉にしている。だからこそ、わたしたちは小説を読んで「ああこれは自分のことだ」と共感することがあるのだと納得した。

子どものうちに物語に触れる大切さ

「第三部 物語と私」では、小川洋子氏の子ども時代の読書体験を語りながら、子どもの成長にかかわる物語の役割について語る部分になっている。

読書を通じて、自分は広大な全体のほんの小さな一部だという思いと、自分は他の何ものでもない特別な一人ひとりだという思いとの、一見矛盾するように見えるけれども、人間にとって必要な共存させるべき思いを本から学んだという一節がある。

「自分というささやかな存在に振り回されるのではなく」(本書p94)、その一方で「自分が自分であることを支えてくれる居場所をつくりあげること」(本書p103)により、自分という存在を世界の中のほんの一部だと位置付け、しかしまた同時に特別な存在であると尊重することの大切さを、読書することで育むことができたと筆者は振り返るのだ。

人が成長する過程で世界に自分を位置づけ、その場所で特別な存在である自分を作り上げていくという働きに読書体験が大きく関わったという経験は、読書好きならば多くの人が思い当たるだろう。

第二部で語られたように、物語は誰しもが日々作り出しているものである。しかし、多くの人々はそれをうまく言葉に紡ぎ出すわけではない。そうだとするのなら、子どももまた世界を理解するため、そして受け入れるために物語を紡ぎ出しているのだろう。

けれども、子どもは子どもであるゆえにその物語自身の価値や意義をうまく自分の中に位置付けられないかも知れない。だからこそ、子どもが紡ぎ出した物語は普遍的であり、そしてまた同時に特別なものであるのだと、ひとつの形で示すのが童話であり児童文学であるのだろう。そうであるからこそ、子どものうちに物語に触れるのはとても大切な経験であるという思いをわたしは新たにした。

参考リンク

1)ちくまプリマー新書小川洋子『物語の役割』
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480687531/

2)ブクログ小川洋子『物語の役割』ちくまプリマー新書
http://booklog.jp/item/1/448068753X


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