誤読と曲解の読書日記

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愛憎と戦争とおっぱいとトラクター/藤原辰史『トラクターの世界史 人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち』中公新書

愛憎と戦争とおっぱいとトラクター/藤原辰史『トラクターの世界史 人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち』中公新書:目次


牧歌的なイメージが覆されてゆく一冊

藤原辰史『トラクターの世界史 人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち』中公新書は、サブタイトルにもあるとおり、トラクターを<人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち>と位置づけ、トラクターの登場と発展が人類の歴史をどのように変えていったのかを描く。

わたし個人は、トラクターをはじめとする農業機械にそれほど興味があるわけではない。農家でもないので、トラクターを運転したこともなければ、稼働しているところを間近に見たこともない。郊外の田畑にあるトラクターを遠目に眺めるくらいのかかわりしかない。

だから、トラクターについては牧歌的なイメージが強かった。たとえば『ひつじのショーン』に登場する牧場主のおじさんが、トラクターを乗り回しているシーンが出てくる。作中でもトラクターは農作業の必需品であると同時に、牧歌的な農家の風景に欠かせない存在として描かれている。

けれども、本書を読み進めているうちにトラクターの牧歌的なイメージだけではない側面が次々にあぶり出されてゆく。石油や化学肥料の大量使用、土壌の圧縮、騒音と振動による作業者の身体への悪影響などなど。本書を読み終わる頃には、それまで抱いていたトラクター=牧歌的だという単純なイメージが覆されてしまうのだ。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

トラクターの光と夢

本書を通じて、わたしたちは人類がトラクターにどんな夢を託し、その夢に向かってどのように邁進していったのかを目撃してゆくことになる。もちろん、その過程には光と影の両側面がある。トラクターはわたしたち人類に食糧の増産をもたらしたという光の部分だけでなく、さまざまな負の側面も存在することを本書は指摘している。そして同時に、その負の側面の解決策は簡単ではないことも示す。

19世紀末のアメリカでトラクターが発明されてから約1世紀のあいだ、人類はトラクターに大きな夢を抱いてきた。トラクターが誕生したアメリカはもちろん、社会主義陣営の旧ソ連や中国、そしてナチスドイツや戦前の日本も。それは本書によると、トラクターは近代国家による食糧の増産計画・体制に組み込まれてきたからだという。

たとえば大日本帝国満州国を作り出し、そこへ日本人を移民させる計画を立てたが、「それは、不況と凶作に苦しむ日本の農村から、移民を満洲へと送り出し、一農家あたりの経営面積を拡大するという分村計画を含むものであった」(本書p184)という。その満州国では「日本や植民地ではほとんど不可能であった機械化農業の実験場にしようと(本書p184)」するものであったと指摘する。

このように多くの国々が国家の主導でトラクターの導入、農地の拡大を目指す。人力や牛馬の力と比べれば、トラクターは土地を広大に耕すことができ、食糧の増産につながるからだ。けれども、そのような光の部分にともなう多くの負の部分もトラクターには付きまとうことを、筆者はさまざまな事例を引いて指摘する。

本書によると、たとえば1929年のウォール街の株価大暴落は、地方銀行の過剰投資による農業不況が間接的原因もたらしたと説く研究者も少なくないという。トラクターなどの農機具の発達・普及が農業生産力が上昇し、市場に供出される農作物が過剰になり、第一次世界大戦後の農作物価格は下落。敬遠不信に陥った農民の機械化に投資していた地方銀行も倒産。よって、農業恐慌が株価の大暴落を招いたというわけである。

本書ではこの他にも、トラクターの導入による多額のローンや大量の石油・化学肥料の使用、そして騒音や振動による身体への大きな負担、さらにはケガや死亡につながる事故などの負の側面が存在することを示してゆく。トラクターには経済的、環境的、社会的、健康的なさまざまな負の側面が常につきまとっていることを本書は指摘してゆく。

このようにさまざまな負の側面を見ていくと、果たして現状のようなトラクターを使い続けざるを得ないような農業というのは、持続可能なのだろうかとの疑問すら抱いてしまう。本書を読み終えると、これからのトラクターの行方を考えることは、これからの農作業や食糧生産のことを考えることであり、ひいては人類の将来を考えることにつながることがよくわかる。

戦争とトラクター

また、本書はトラクターと戦争が切っても切り離せない関係だということを明らかにしてゆく。本書において、「トラクターの普及は第1次世界大戦を一つの画期」(本書p33)だと位置付ける。たとえば、トラクターの大量生産に成功したフォード社はイギリス政府にトラクターを輸出した。イギリスの労働者不足を補うために。そして、農業生産力を上昇させるためであった。また、ミネアポリスにあったモリーン社もイギリス、フランス両政府にトラクターを輸出していたという。

各国が大戦下においてトラクターを必要としたのは、上記の理由の他にも、軍事運搬のために農村から農作業用に使われていた多くの馬が徴発されたから、そして都市での軍需産業が盛んになり、農村から労働力が都市に流出したからでもあると本書は指摘する。だからこそ、農村でのトラクターの導入が急務になったのだ。

そしてまた、トラクターの技術は戦車に転用できるものでもあった。第一次世界大戦中のイギリスは、トラクターの技術をヒントに戦車の開発に乗り出す。そしてついには、戦車を実践に投入することになるのだ。また、同じ頃、フランスやドイツもトラクターの製造技術を転用した戦車開発に乗り出していき、その結果として「第二次世界大戦にほとんどのトラクター企業が戦車開発を担うようになった」(本書p106)という。

このように、食糧の生産と確保、軍事物資の輸送運搬、そして戦車への転用と、トラクターと戦争は切っても切れない関係であることを、本書は次々に明らかにしてゆく。

トラクターの文化的側面

ウクライナは波乱の歴史をたどった国である。旧ソ連のトラクター史の起源でもあるこの国は、スターリン体制下での大飢饉の猛威にさらされ、独ソ戦の主戦場になりドイツの占領地となったが、戦後はソ連に復帰し、ソ連崩壊後は独立を遂げるという大国の暴力にさらされ続けた国だ。

2005年にイギリスで刊行されたマリーナ・レヴィッカの『ウクライナ語版トラクター小史』は、上記のような「ウクライナの悲劇をトラクターの視点から描いた小説」(本書p114)であると、本書で紹介されている。ちなみにこの『ウクライナ語版トラクター小史』は、日本では『おっぱいとトラクター』というタイトルで邦訳され、映画化もされている。

このように、本書ではトラクターをめぐる文化史をも紹介する。スタインベックの小説『怒りとぶどう』やエイゼンシュタインの映画作品『全線』(『古きものと新しきもの』に改題)から、小林旭の歌うヤンマートラクターのCMソング「赤いトラクター」まで、数多くの文学、映画、詩歌にトラクターがどう描かれたかを眺めてゆく。

そこでは、トラクターが愛憎さまざまに表現されていることを示してゆく。愛情、仲間意識、未来への希望、そして憎悪。人々のトラクターへ向けるまなざしが浮かび上がってくるのだ。このようなさまざまな表現作品の中で、トラクターは「文化表現の想像力を耕し、未来社会像を牽引する役割を果たしていた」(本書p234)と筆者は位置づける。それだけトラクターという存在が人類にとって衝撃的であり、また大きな存在感を示していることを示しているのだ。

このように、『トラクターの世界史』は、トラクターの誕生から今日に至るまでの人類との関わりを描き出し、これからの未来社会における立ち位置までをも展望する意欲作だ。トラクターに興味のない人でも、トラクターの歴史を通してさまざまな示唆や発見が得られるだろう。

参考リンク

1)中公新書/藤原辰史『トラクターの世界史 人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち』
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2017/09/102451.html

2)ブクログ/藤原辰史『トラクターの世界史 人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち』中公新書
booklog.jp


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