誤読と曲解の読書日記

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『至上の愛』のさらにその先にあるもの/藤岡靖洋『コルトレーン ジャズの殉教者』岩波新書

『至上の愛』のさらにその先にあるもの/藤岡靖洋『コルトレーン ジャズの殉教者』岩波新書:目次

今日的なテーマを含むコルトレーンの音楽

藤岡靖洋『コルトレーン ジャズの殉教者』岩波新書は、ジャズミュージシャンのジョン・コルトレーンの生い立ちから死去までの生涯を描く。コルトレーンについて、そしてジャズについて、より深い世界を知るための一冊だと言えよう。さっそく、コルトレーンや彼と関わりのあったミュージシャンたちの音楽を聴きたくなる本だ。

コルトレーンの音楽は個人的にいくつかiPodに入っているが、彼の人生や彼の音楽性について深く知っているかと言われればまったく自信はない。また、コルトレーンを含んだジャズや彼と関わりのあったミュージシャンたちについても、初心者に毛の生えた程度の知識しかない。

この本はコルトレーンの生涯を通じてジャズという音楽の小史を知ることができる。またコルトレーンの周囲のミュージシャンたちとの関わりを通じて、彼の音楽についてより深く知ることができる。この本を読み終わったあと、いっぱしの”コルトレーン通”を自称できるかもしれないと高揚感に包まれる一冊である。

また同時にこの本はコルトレーンの生涯を描きながら、彼の音楽に込められた黒人差別に対する怒りと公民権運動への共感までをも描き出す。本書によると、彼の母方の祖父は牧師であったという。その祖父から奴隷として連れてこられた黒人の歴史を聞き、そして自身もまた南部で生まれ育ったので黒人差別を肌で感じていたのだろう。

コルトレーン自身は、黒人差別への反発や怒りを声高に正面切って叫ぶことはあまりなかったようだが、彼の生み出したアルバムや曲を見ていくと、そこには静かな怒りというべきものが込められていることがわかると本書では位置付ける。

コルトレーンが自身の音楽に込めた黒人差別への怒りや憤り、それに加えて公民権運動に対する共感といったものは、不寛容が広がる現在の世界にとっての今日的なテーマでもあるのではないか。だからこそコルトレーンの音楽は、それが生み出されて半世紀が経った今日でも色あせずに多くの人々の共感を得ながら、広く聴かれているのだろうとの思いをわたしは抱いた。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

黒人差別への怒りと公民権運動への共感

コルトレーンが生まれ育ったのは、ジムクロウ法(黒人差別法)がまだ残っていた南部ノース・キャロライナ州ハイポイントという町。黒人の人権がまったく認められていなかった時代であった。白人居住区に入るときには許可証が必要とされ、南部で乗る汽車は白人と黒人は別の車両に乗らなければならなかったという。

そんな時代状況の中で生れ育ったコルトレーンに、精神的・音楽的な大きな影響を与えたのは、母方の祖父ウィリアム・ウィルソン・ブレア牧師であったと著者は述べる。コルトレーンの母親が敬虔なクリスチャンであり、子どもだったコルトレーンをしょっちゅう教会に連れていっていたという。この教会はコルトレーン一家の自宅の隣にあり、祖父はその教会で牧師をつとめていた。

コルトレーンはこの祖父から黒人の歴史を聞き、また教会のバンドに入って初めて楽器を手にする。子ども時代から思春期にかけてのコルトレーンに大きな影響を与えたのは、想像に難くない。のちにジャズ・ミュージシャンへと成長したコルトレーンの音楽には、人種差別に反対するメッセージが込められていることがわかると、本書では紹介されている。

たとえば、インパルスに移籍しての第一弾アルバム『アフリカ/ブラス』に「ソング・オブ・ジ・アンダーグラウンド・レイルロード」という曲がある。この曲名になった「アンダーグラウンド・レイルロード」とは、19世紀に劣悪な環境と過酷な労働に耐えかねたアメリカ南部の黒人の多くが、南部から北部へ逃れていったが、そういった黒人の逃亡を助ける白人のクエーカー教徒らを中心にした地下組織が作った各地の拠点を結ぶルートがそう呼ばれていたという。

このあたり、コルトレーンの曲の根底に流れる人種差別への怒りや公民権運動への共感といったものを意識しながら、ここで紹介されている彼の音楽を改めて聴くと、これは過去の音楽ではなく、現在でも色褪せることなくわたしたちの心に響く音楽であるということを強く感じるだろう。

至上の愛を求めて

また、本書はコルトレーンが生涯をかけて追求した「至上の愛」の姿をうかがい知ることができる。ジャズという音楽を突き詰めることで、コルトレーンの目指した「至上の愛」。コルトレーンが亡くなる1年前の日本公演の際、彼は「聖者になりたい」と発言したが、その「聖者」になるべく「至上の愛」を求めて驀進していた姿をも本書は描く。

本書中では、コルトレーンの追い求めたものは「平和と愛」と表現されているが、わたしはここで敢えてコルトレーンの同名のアルバム『至上の愛(原題:A Love Supreme)』という言葉を、著者の使っている「平和と愛」と同じ意味で使用したい。

このアルバム『至上の愛』はコルトレーンの代名詞として、そしてジャズの金字塔の一つとして知られる。1964年に録音され、そこには一連の組曲が収められている。麻薬とアルコールに溺れていたコルトレーンを救い出した前妻とその娘に最大限の感謝の気持ちを贈り、今の妻アリスとの固い愛を誓う。そして信じた道へ進む決意した自分への許しを神に乞う。アルバム『至上の愛』は、そのようなコンセプトでつくられたという。

この『至上の愛』以降、より深いアフリカ回帰、スピリチュアルな音楽の追求、そして日本公演での「私は聖者になりたい」との発言を経て、肝臓の病でコルトレーンは急死してしまう。アルバム『至上の愛』の録音から約3年後のことであった。

わたしの何の根拠もない個人的な感想だが、このあたりの急激なコルトレーンの変化を見ていると、コルトレーンは自分の死が近いことを悟り、生き急いでいたのではないかとさえ思ってしまう。

アルバム『至上の愛』はジャズの金字塔を打ち立てたが、それからさらにコルトレーンは自分の音楽を追い求め、自分のルーツでもあるアフリカへとたどり着く。そこには、アルバム『至上の愛』で示されたものをさらに深め、高めた「至上の愛」を、コルトレーンは追い求めていた姿がうかがえる。

このように本書に描かれた『至上の愛』以降のコルトレーンの歩みを見ていると、彼は生き急いでいたのではないか、彼は自分の人生が短いものであるということを、どこかで感じていたのではないか。そんな根拠のない想像すら頭に浮かんでしまうのだ。

『至上の愛』のさらにその先にあるものを、コルトレーンは追い求めいた。でも、自分に残された時間がもはやそう多くはないことも知っていた。だからこそ、誰にも理解されなくても、「至上の愛」という言葉に換言できる自分の音楽を求めていたのだろうとすら思えてくる。コルトレーンが生き急ぐように求めた音楽。それは、ある意味で神の領域にだけ存在するものだったのかもしれない。だからこそ、コルトレーンはジャズの殉教者となったのかもしれない。

参考リンク

1)岩波新書/藤岡靖洋『コルトレーン ジャズの殉教者』
https://www.iwanami.co.jp/book/b226090.html

2)ブクログ/藤岡靖洋『コルトレーン ジャズの殉教者』
booklog.jp


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