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誤読と曲解の読書日記

読書の感想を書く日記です。あと、文具についても時々。

飛び跳ねる野心に跳び乗って、行き着くところまで駆け抜ける/W・シェイクスピア(福田恆存訳)『マクベス』新潮文庫

飛び跳ねる野心に跳び乗って、行き着くところまで駆け抜ける/W・シェイクスピア福田恆存訳)『マクベス新潮文庫:目次

飛び跳ねる野心に跳び乗って、行き着くところまで駆け抜ける

ウィリアム・シェイクスピア福田恆存訳)『マクベス新潮文庫は、スコットランドの武将マクベスが、心の奥底に抱いていた野望に気づき、その野望に従って次々に悪を重ねていく物語。シェイクスピアの四大悲劇(他には『ハムレット』『リア王』『オセロー』)のうち、『マクベス』は一番最後に書かれたものとされる。

マクベス』は、人間の悪や罪、それに弱さやもろさを描き出す物語だとも言える。主人公のマクベスは、勇猛果敢な武将としてスコットランドのダンカン王に一目置かれるほどの人間だが、心の奥底では自らですら恐れおののくような野心を抱いている。その野心に気付いたとき、マクベスは悪に突き動かされ、罪を重ねてゆくのだ。

短い物語だが、マクベスが次々に悪を重ねていく部分が、まさに坂道を転げ落ちてゆくかのような疾走感にも似たものがある。本書に登場する言葉を使うと、飛び跳ねる野心に跳び乗って、行き着くところまで駆け抜けるかのようだとも言い換えることができるだろう。それだけに、この物語にはサスペンス的なテンポの良さがある。

次々に悪を重ねるマクベスは、自分のやってしまったことにおびえ、震える弱さやもろさを持った人間でもあるが、それゆえに破滅へと突き進んでしまう。しかし、マクベスの抱く悪や罪、それに弱さやもろさは、わたしたちもまた大なり小なり抱えているものなのかもしれない。

もちろん、王位を簒奪したり、人を次々に殺めるといった大きな悪や罪をわたしたちが抱えることはないが、心の奥底に秘めた野心や欲望、時にそれに突き動かされてしまって手痛い失敗をしてしまった経験のひとつやふたつはあるだろう。その意味では、わたしたちもまた、大なり小なりマクベス的なものを抱えているのだ。
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※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

きれいは穢い、穢いはきれい

この物語の冒頭で魔女たちが口にした「きれいは穢い、穢いはきれい」との言葉は、マクベス自身のことを指しているのではないか。マクベス自身、ダンカン王からは勇猛果敢で王に忠実な武将とみなされていた。けれども、マクベスの心の奥底ではダンカン王を弑逆し、その王位を簒奪することを目論んでいたのだ。

マクベスはうわべでは立派な武将だが、その心の奥底ではそれとはまったく違った面を見せる。だから「きれいは穢い」というのは、マクベスの勇猛果敢さの下に隠れた野心を示すものでもあると言えるかもしれない。

繰り返しになるが、マクベスは敵にひるむことない勇猛果敢な強い意志と心を持っているとダンカン王はみなしていた。しかし、マクベスが自らの野望に従うままに行動し、その目的を果たしたあとは、自分のやってしまったことに震え、自分の将来が安泰かどうかという不安におびえてしまう。これもまた、「きれいは穢い」との言葉のように、勇猛果敢だといううわべの下に臆病さが覆い隠されていたことを示しているのだろう。

また同時にこうとも言える。やってしまったことに対する恐怖、勇猛果敢といううわべの下に震えるマクベス。でも、その恐怖に震え、臆病さをさらけだすところが、マクベスが本来持っていた人間性を示している部分なのかもしれない。勇猛果敢な武将という鎧をはぎ取ってみれば、マクベスもまた卑近で気弱な人間なのだ。

その意味では「穢いはきれい」との言葉は、マクベス人間性を指す言葉なのではないか。不安と恐怖に震え、臆病さをさらけ出すのは醜い姿をさらけだすことは、「穢い」姿をさらけ出すことでもある。でもその姿は、人間としての心を取り戻した姿、本来あるべき「きれい」な姿なのではないか。

「きれいは穢い、穢いはきれい」との言葉を体現した存在であるマクベス。しかし彼は、不安や恐怖におびえ震える臆病さを持った、わたしたちと同じような卑近で気弱な人間だったと言えるだろう。マクベスはそのような人間であったからこそ、王の器に足る人間ではなかったのだ。だから、一度は手に入れた王の位を、すぐに奪われてしまうことになったのだろう。

鞍ごしに向う側に落ちるのが関の山

マクベスは権力欲にとりつかれた男だ。ずっと胸の奥に野心を抱えてきたが、その野心を三人の魔女たちに見透かされる。しかし、マクベスは自分がそんな大それた野心を抱いていることさえ信じられず、恥だというように振る舞うが、「まんざら嘘とも言えない?」(本書p9)などとも言い、まんざら悪い気もしていないのも事実である。そのように、魔女たちに発見された野心がマクベスを操り、物語を前に進ませる。

しかし、マクベスは一方で、自分が権力欲や野望を抱いていることを恐れてもいる。「こういうことは、かならず現世で裁きが来る−−誰にでもよい、血なまぐさい悪事を唆してみろ、因果は逆にめぐって、元兇を倒すのだ」(本書p30)。また「ただ野心だけが跳びはねたがる、跳びのったはよいが、鞍ごしに向う側に落ちるのが関の山か」と、自分の野心を押さえつけようとしている。

ダンカン王を弑逆してしまったあと、マクベスは自分のやってしまったことをひどく後悔している。たとえば、マクベスはみずからの居城で、「もう眠りはないぞ! マクベスが眠りを殺してしまった!」(本書p39)という正体不明の不気味な声を耳にしておびえる。また、誰かが執拗に戸を叩く音にも震え上がってしまう。

こういったマクベスの恐れは、ある種の予言だったとも言える。マクベス自身が恐れたように、「因果は逆にめぐって、元兇を倒」してしまい、野心に「跳びのったはよいが、鞍ごしに向う側に落ち」てしまうからだ。マクベスは野心と恐れの間を揺れ動いたが、最後にはマクベス自身が恐れるとおりの結末になってしまった。

自分でははっきりと意識はしていないが、心の奥底に後ろ暗い野望や欲望を抱えている人は、わたしたちのまわりにいるだろうし、ひょっとするとわたしたちの内部にもひそかに眠っているかもしれない。

わたしたちだって魔女の予言を聞くことで、自分の内なる野望や欲望にハッと気づくことがあるかもしれない。その結果、わたしたちは破滅へと突き進んでしまい、「鞍ごしに向う側に落ちるのが関の山」となってしまうことだって十分に考えられる。なぜなら、わたしたちもまた、マクベスと同様に弱さやもろさを抱えた人間だからだ。『マクベス』は、わたしたちにそんなことを突きつける物語だと言えるだろう。

参考リンク

1)新潮文庫/『マクベスウィリアム・シェイクスピア福田恆存
www.shinchosha.co.jp

2)ブクログ/『マクベスウィリアム・シェイクスピア福田恆存
booklog.jp


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