悪魔的に危険な本/寺尾隆吉著『ラテンアメリカ文学入門』中公新書
悪魔的に危険な本/寺尾隆吉著『ラテンアメリカ文学入門』中公新書:目次
単なるブックガイドにとどまらない一冊
寺尾隆吉著『ラテンアメリカ文学入門 ボルヘス、ガルシア・マルケスから新世代の旗手まで』中公新書
中公新書の『ラテンアメリカ文学入門』、これは悪魔的に危険な本。知らない作家や作品はもちろん、知っている作家でも読んだことない作品が、本文はもちろん巻末の参考文献にもたくさん紹介されているから、じゃんじゃん本を買うしかなくなってしまうのだ。
— のび (@nobitter73) 2017年1月8日
本書のタイトルは明確に「ラテンアメリカ文学入門」と銘打っている。たしかにラテンアメリカ文学に関わる作家たちや作品の紹介やエピソードがふんだんに盛り込まれているし、巻末の参考文献とあわせて、まさに「ラテンアメリカ文学入門」にふさわしいブックガイドと言えるだろう。
しかし、本書は単にここの文学作品の解説、あるいはブックガイド的なものにとどまらない。
本書は「ラテンアメリカ文学入門」のための一冊であると同時に、「ラテンアメリカ文学史」としての側面を持つ。本書は、カルロス・フエンテス、マリオ・バルガス・ジョサ、フリオ・コルタサル、ホルヘ・ルイス・ボルヘス、ガブリエル・ガルシア・マルケスなどの書き手がそろい黄金期を迎えた「一九五八年から八一年にいたる二十数年を中心」とした、その前後を含めた約100年にわたる現代ラテンアメリカ文学の動向を探るものでもある。
そこでは、作家同士の関係性はもちろん、スペイン語圏の出版社や出版業界の動向と、それがラテンアメリカ文学に及ぼした影響、またラテンアメリカ諸国の政治・経済の動向と、それがラテンアメリカ文学や作家たちへ与えた動向まで広く網羅する。本書はラテンアメリカ文学の動向を広く俯瞰し、ラテンアメリカ文学の世界進出や世界文学における位置づけまで探る一冊となっている。
※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。
「批評版」の存在
80年代以降、ラテンアメリカ文学は読者層の増加を背景として、スペイン語圏を中心に世界的なベストセラーを生み出すようになる。けれども、それらベストセラー作品を読む膨大な読者層は「難解な小説には耐えられない読者層」(本書p165)であり「娯楽として本を読む読者層」(本書p165)であったという。
したがって、ラテンアメリカ文学のあり方も「文学作品として優れた小説を書けば売り上げが伸びるという理想郷の時代はすでに終わっており、商業的成功を手にしようとすれば、思い切って作品のレベルを下げる必要」(本書p166)に迫られることになる。
そのような状況でベストセラーとなるのは、文学的価値に乏しい娯楽性に富んだ楽しさと面白さを求める物語であった。同時にそれは、高い芸術性を含んだそれまでのラテンアメリカ文学の特徴を表層的に取り入れたに過ぎない文学作品であったと本書は指摘する。
そこで、スペイン語圏の出版社から誕生したのが「批評版」であった。
この『ラテンアメリカ文学入門』で初めて知ったのが、スペイン語圏には文学の「批評版」があること。これは「商業的成功を収めただけで文学的価値に乏しい作品と、商業的には不発であっても文学的・学術的価値の高い作品の境界を線引きし、何を後世に残すべきか、その指針を打ち出」すヴァージョン。
— のび (@nobitter73) 2017年1月8日
この「批評版」は文学研究者による序文や注、参考文献や年表だけでなく、場合によっては研究論文や作者のインタビューに書簡、出版当時の書評や交流のあった作家のコメントなどが載せられ、「一冊あればその作品について修士論文ぐらいは書けると言われるほどのレベル」に達したものまである、と。
— のび (@nobitter73) 2017年1月8日
日本だと、たとえば文庫本の巻末に作家本人や訳者のあとがき、文芸評論家の解説や付き合いのある作家(最近だと芸能人まで書いてる場合がある)の少々宣伝的な解説、あとは教科書に載るくらいの作家なら年表がつくが、「批評版」が研究論文や当時の書評までみんな載せ、文学的価値を示すのは興味深い。
— のび (@nobitter73) 2017年1月8日
個別の文学作品の価値や存在意義をはっきりと打ち出し、後世へ伝えようとするスペイン語圏の出版社の姿勢は、素直にすごいなあと思う。日本ではちょっと考えられない。もちろん、スペイン語圏と日本では環境も違うだろうし、日本にも知らないだけで「批評版」的な本が存在するかもしれないが。
— のび (@nobitter73) 2017年1月8日
悲観的な現状からの希望
また、第5章と第6章では、特に80年代以降のベストセラー時代の到来と21世紀に入って以降、「ラテンアメリカ文学」が抱える問題を俯瞰し、これからの展望を探る。これらのベストセラー作品の量産で指摘される問題や著者の懸念は、ラテンアメリカ文学のみならず、日本文学、あるいは世界の文学が抱える問題や懸念にも連なるのではないかという印象を個人的には持った。
本書によると、スペイン語圏の出版社が大がかりな文学賞を主催し、毎年多くの新人作家を世に送り出しているという。しかし、文学賞は必ずしも作品の品質を保証するものではなくなり、本を売るための仕掛けになってしまう。作家の側では生活の安定はもたらすが、それと引き換えにサイン会やインタビューなどのプロモーションに時間を割かざるを得なくなり、同時に次回作を創作に費やす時間を大幅に失われてしまう。
このような「文学作品の量産という事態」(本書p207)の下では、作家や出版社も完成度の高い作品を生み出し、読者の元へ届けることが難しくなることが懸念されると本書は指摘する。創作に割く時間が削られてしまうために、結果として十分な取材と下調べ、深い洞察ができずに、表層的で陳腐な作品ばかりが作られてしまう。
もちろん、本書はこのような悲観的な側面ばかり指摘するのではなく、これからのラテンアメリカ文学に対する希望も示されている。
寺尾隆吉『ラテンアメリカ文学入門』中公新書、ラテンアメリカ文学の入門として、そしてわたしのような文学愛好者にとってのラテンアメリカ文学のブックガイドとしても、必携の書となりうる一冊だと言えるだろう。
しかし、本書の筆者である寺尾隆吉先生、スペイン語圏の文学作品を精力的に日本語訳するだけじゃなく、安部公房や谷崎潤一郎の小説をスペイン語に翻訳しているという。天才か!/『ラテンアメリカ文学入門』/寺尾隆吉インタビュー https://t.co/oGqWYwTKrq #web中公新書
— のび (@nobitter73) 2017年1月8日
参考リンク
1)中公新書/『ラテンアメリカ文学入門 ボルヘス、ガルシア・マルケスから新世代の旗手まで』
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2016/10/102404.html
2)ブクログ/『ラテンアメリカ文学入門 ボルヘス、ガルシア・マルケスから新世代の旗手まで』
booklog.jp
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『誤読と曲解の読書日記』管理人:のび
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