誤読と曲解の読書日記

読書の感想を書く日記です。あと、文具についても時々。

多弁な酔っ払いの、熱を帯びた言葉たち/チャールズ・ブコウスキー(中川五郎訳)『死をポケットに入れて』河出文庫

発熱する言葉

ひさびさにブコウスキーの『死をポケットに入れて』を手に取った。

チャールズ・ブコウスキー著(中川五郎訳)『死をポケットに入れて』河出文庫。50年間愛用したタイプライターからMacのパソコンに変えて書いた日記調のエッセイ。生と死、詩と小説、競馬と音楽……。言葉がマシンガンのようにぶっ放されて、弾丸が容赦なく体に撃ち込まれるように、70歳を過ぎたブコウスキーの考察が胸に響く一冊。

本書はブコウスキーが1991年8月から1993年2月までに書かれたもの。ブコウスキーは1994年3月に亡くなるので、晩年に書かれた「日記」と言える。ただ、本書は「日記」と言っても、毎日の出来事をずっと書きつづったものではない。本書は、2年半の間に33日分しか書いていない「日記」だ。その日の出来事や感想から出発し、さまざまな物事に思いをめぐらせ、考察する。

本書をめくると、ブコウスキーの投げかける刺激的な考察のひとつひとつが、弾丸となって我々の身体に食い込み、一気に爆発する。ただ、言葉の爆発力が大きいがゆえに好き嫌いは分かれると思う。わたしはブコウスキーの文章は好きだ。けれども、それは単に手放しで好きというわけでもない。

うまくは言えないが、こんなに競馬に明け暮れ酒を浴びるように飲むようなおじいちゃんが身近にいたらうざいし、多弁な酔っ払いのような言葉遣いも乱暴そのものだ。はっきり言って、そんなおじいちゃん(に限らず、酔っ払いみんな)は嫌いだ。

しかし、ブコウスキーの場合は口にする言葉のひとつひとつが熱を帯びていて、かつ誠実・真摯であり、そこにある種の真実を含んでいるので思わず耳を傾けてしまう、といったところだろうか。そう、ブコウスキーの言葉は、確実に我々の内部を激しく揺さぶる威力を持っている。そこにたまらない魅力があるのだ。

ブコウスキーは酒におぼれ、競馬におぼれてはいるものの、それらに依存していないことがうかがえる。酒や競馬にどっぷりとは浸かっているが、それらとは一定の冷静な距離感を保っている。本書には、「賭け事は、当然のごとく、人を生きたまま食い尽くしてしまう」(p78)という一節がある。けれども、本書をめくるとわかるが、ブコウスキーは賭け事や酒に食い尽くされてはいない。だからこそ、冷静な考察ができるのだろう。

大切なのは今日、今日、今日なのだ

本書の邦題は『死をポケットに入れて』だが、原題は"The Captain Is Out to Lunch and the Sailors Have Taken Over the Ship”。ともに、本書の一節から来たもの。現代を訳すと、「船長が昼食に行った間に、船乗りたちが船を乗っ取った」。これは別にこのような英語特有の言い回しがあるというわけでもなく、本書でその一節について何か言及されているわけでもない。

邦題の方が本書の内容を的確にとらえているが、この「船長が〜」というわけのわからない一節も、ブコウスキーがわざわざそう書いたとなると、なにやら深い意味や含蓄があるような気がしてくるのが不思議だ。

最後に本書から印象に残った一節を引用する。

「わたしは誰と競い合っているわけでもないし、不朽の名声に思いを巡らすようなこともまったくない。そんなものはくそくらえだ。生きている間に何をするかが問題なのだ。(中略)行動と挑戦の中にこそ、栄光はあるのだ。死などどうだっていい。大切なのは今日、今日、今日なのだ」(p119)。

ブコウスキーの放ち続けた刺激的な言葉は、死んでもなお我々の胸に突き刺さるほどの威力を持っている。

これを読んでいるお前は死をポケットに入れて行動と挑戦をしているかと、ブコウスキーに突きつけられている気分になる。本書はときどき本棚から取り出して読み返したい1冊だ。「ポケットから死を取り出し、そいつを壁にぶつけて、跳ね返ってくるのを受けとめる」(p23)ように。

ブクログのレビュー

50年間愛用したタイプライターからMacのパソコンに変えて書いた日記調のエッセイ。生と死、詩と小説、競馬と音楽……。言葉がマシンガンのようにぶっ放されて、弾丸が容赦なく体に撃ち込まれるように、70歳を過ぎたブコウスキーの考察が胸に響く一冊。

本書をめくると、ブコウスキーの投げかける刺激的な考察のひとつひとつが、弾丸となって我々の身体に食い込み、一気に爆発する。ただ、言葉の爆発力が大きいがゆえに好き嫌いは分かれると思う。わたしはブコウスキーの文章は好きだ。けれども、それは単に手放しで好きというわけでもない。

うまくは言えないが、こんなに競馬に明け暮れ酒を浴びるように飲むようなおじいちゃんが身近にいたらうざいし、多弁な酔っ払いのような言葉遣いも乱暴そのものだ。はっきり言って、そんなおじいちゃん(に限らず、酔っ払いみんな)は嫌いだ。

しかし、ブコウスキーの場合は口にする言葉のひとつひとつが熱を帯びていて、かつ誠実・真摯であり、そこにある種の真実を含んでいるので思わず耳を傾けてしまう、といったところだろうか。そう、ブコウスキーの言葉は、確実に我々の内部を激しく揺さぶる威力を持っている。そこにたまらない魅力があるのだ。


参考

1)河出書房新社/『死をポケットに入れて』
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309462189/

2)ブクログ/『死をポケットに入れて』
http://booklog.jp/item/1/4309462189

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