誤読と曲解の読書日記

読書の感想を書く日記です。あと、文具についても時々。

ゾラのみせる別の一面/エミール・ゾラ『水車小屋攻撃 他七篇』岩波文庫

軽々とした自由なゾラの筆致を味わう短篇集

エミール・ゾラ作 朝比奈弘治訳 『水車小屋攻撃 他七篇』岩波文庫。本書はエミール・ゾラの中篇、短篇、掌編小説を8作品収めたものである。

エミール・ゾラというと、『居酒屋』や『ナナ』といった重厚で長大な小説を書く作家として知られている。ゾラの書く長篇小説は、山から切り出した巨大な石材をひとつひとつ丁寧に積み上げ、長い時間をかけた末に巨大な建造物が姿を表す(が、やがてそれがゆっくりと朽ち、崩れてゆく)という感じだ。

しかし、こちらの短篇集に収められた作品を読むのは、目の前にある風景を描いたスケッチや、少し大きめのサイズの絵画を鑑賞する感覚に近い。もちろん、だからと言って物足りなさみたいなものがあるわけではない。むしろ、重厚で長大な長篇小説とは違った、軽々とした自由なゾラの筆致を味わうことができる。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

ゾラの才能の豊かさ

本書のタイトルにも使われている短篇「水車小屋攻撃」は、戦争の愚かさや虚しさを浮き彫りにした佳作。古い水車小屋のあるのどかな田舎町が舞台。人間の生命は、戦争という巨大な力によっていとも簡単に生殺与奪の権を握られてしまう様子を描く。

小さな村の自然の描写や、若い婚約者同士が互いに抱く愛情と信頼が美しい。その一方で、勝利のためならば村を破壊することや人間の生命を奪うことも躊躇しない軍人や兵士の残酷で浅ましい姿が対比的に描かれる。物語の最後、フランス軍の隊長の上げる快哉がむなしく響くのが印象的で、その快哉が胸に突き刺さる。

「シャーブル氏の貝」「一夜の愛のために」はともに、女性の恐ろしさ、身勝手さを描く作品。美しい女性が振りまく、うわべだけの愛情に振りまわされる男たちの姿には滑稽さと悲しさがある。これらの作品に登場する女性たちは、最後には自分なりの幸せを手に入れるが、その幸せもまたうわべだけを上手く取り繕ったものだ。そんな女性たちは物語が終わったあとに続く世界でも、それなりに上手に取り繕いながら、愛情と幸せを享受してゆくのだろうと思わせるところに恐ろしさがある。

「アンジェリーヌ」は幽霊話だが、ラストまでの恐怖の盛り上げ方、そして最後のすがすがしい幸福や希望に満ちた明るさの対比の上手さを味わえる作品。

「ジャック・ダムール」は、「政治や社会の圧倒的な力に翻弄される個人の数奇な運命を物語った」(訳者解説より)作品。とっくに死んでしまったものとみなされた男が、十年ぶりに自分の家族を見つけ出す。

このほかにも、短い話が収められている。反戦を訴えるもの、人間と自然のあり方を示すもの、明るく滑稽な小話とバラエティに富み、短篇作家としての側面を持ったエミール・ゾラの才能の豊かさを物語る。

すべての短篇の一部

本書の解説によると、エミール・ゾラが生涯に残した短篇は80篇にのぼるという。日本ではこれまで、そのうちの7篇のみが日本語に訳されていた。今回、岩波文庫の『水車小屋攻撃 他七篇』は、その7篇以外の中から8篇を訳したものとなる。

本書と同時期に光文社古典新訳文庫から『オリヴィエ・ベカイユの死/呪われた家 ゾラ傑作短編集』が出版された。こちらには、本書にも収められた「シャーブル氏の貝」と「アンジェリーヌ」を含めた5篇が収められているようだ。わたしはまだこちらの方は未読だが、近いうちに読んでみたい。

エミール・ゾラは長篇小説についても、いま現在手軽に読めるのは『居酒屋』と『ナナ』くらいだ。庶民の生活の実相を描いた、そして政治や戦争や革命に翻弄される個人の運命を描いたゾラの作品に触れる機会が、今後も増えるよう期待したい。

参考

1)岩波書店エミール・ゾラ作 朝比奈弘治訳 『水車小屋攻撃 他七篇』岩波文庫
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/32/0/3254570.html


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