誤読と曲解の読書日記

読書の感想を書く日記です。あと、文具についても時々。

不完全で儚い存在/河合祥一郎『シェイクスピア 人生劇場の達人』中公新書

戯曲を読むのが苦手

わたし自身、戯曲を読むのは苦手だ。なぜ苦手なのか、それを説明すると長くなりそうなので割愛するが、「地の文」でさまざまな説明や描写のある小説と比べて「ト書き」の情報しかない戯曲では、想像力がより必要とされるから、みたいなところに落ち着くのだろうか。単に戯曲に対する苦手意識が先立っているだけということもあるかもしれないが。

河合祥一郎シェイクスピア 人生劇場の達人』中公新書。本書を読んでも、すぐにシェイクスピアの戯曲がすらすらと読めるようになるわけではない。本書はシェイクスピアの描いた戯曲の読み方のコツやテクニックを直接的に解説するわけではない。けれども、読み終わったあとにはシェイクスピアの戯曲に描かれた世界が、より豊かにぐんと広がって見えるはずだ。

第1章から第3章までは、シェイクスピアの生涯を3つの時期に分けて追っていく。シェイクスピアの生きた時代背景から彼の生涯をたどり、そこから彼の行動の背景にあったものに想いをめぐらせる。また、第4章以降は、シェイクスピアの演劇の構造や背景を読み解く。有名なセリフや場面の裏に意図されたものや潜んでいるものを明らかにしてゆく。悲劇や喜劇の構造、戯曲の根本にあるシェイクスピアの哲学や思想を読み解き、そこに込められたシェイクスピアの思いを紐解く。

本書は、シェイクスピア作品をより深く理解し、楽しめるようになるための一冊だ。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

身近に迫る政治的宗教的な弾圧

河合祥一郎シェイクスピア』の前半部分では、シェイクスピアの生涯とその時代背景をたどる。本書に従って、まずシェイクスピアの生まれる前から劇作家として世にでるまでの世情を俯瞰すると、次のようになる。

シェイクスピアの生まれる30年ほど前のイギリスは、国王ヘンリー8世イングランド国教会イギリス国教会)を、カトリックローマ教皇庁から独立させ、別個の宗教とした。その後の政治・宗教状況が揺れ続けた余波の中、シェイクスピアは生まれた。もちろん、シェイクスピアも家族も政治・宗教の情勢と無縁ではいられない。カトリック弾圧の波が容赦なく故郷の村にも押し寄せる。

シェイクスピアの縁戚に当たる人物は、カトリックの教義を貫くために当時のエリザベス女王を射殺すると公言して逮捕された。その後の家宅捜索でカトリックの司祭をかくまっていた罪で家長が逮捕され、拷問の末に公開処刑場で首吊り・内臓えぐり・四つ裂きの刑を受けた。

また、シェイクスピアの通った学校の先生の恩師もまた、イングランドカトリック布教活動を行なったために逮捕され、拷問の末に首吊り・内臓えぐり・四つ裂きの刑を受けた。そんな中、町の有力者だったシェイクスピア父親もまた、町の参事会員の栄誉を剥奪されてしまう。

以上のように、シェイクスピアが劇作家として世にでるまでのイギリスは、政治的にも宗教的にも大きく揺れ動く世の中だった。

若いシェイクスピアが、このときどんな想いを抱いていたのか、それを直接示すような記録は残っていない。けれども、身近な人々が政治的宗教的に弾圧されるのを目の当たりにして、このまま故郷で手袋職人の息子として生きていくことに、大きな不安を覚えたのだろうと想像できる。そんな中でシェイクスピアは突如、妻子を故郷に残し、単身でロンドンへと出発する。そのときの彼の覚悟や思いはどのくらい重いものだっただろう。
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暗い世情の中、不動産投資を続ける

次に再び本書に従って、シェイクスピアが劇作家として活躍している当時のロンドンの様子を眺めてみよう。

ロンドンで劇作家として世に名前が出ても、ロンドンの世情もまた不安定だった。1605年11月には火薬陰謀事件が起こる。国王ジェイムズ一世に対するクーデター未遂事件だ。またこの火薬陰謀事件に前後する1603年4月から、そして1606年7月からも、死者を多数出してしまう疫病がロンドンに蔓延してしまう。

国王一座となっていたシェイクスピアの劇団は、疫病の蔓延するロンドンでの公演を1年近く行うことはできず、地方巡業の日々を送らざるを得なかった。疫病の蔓延を抑えるために劇場が閉鎖されてしまったからだ。さらにはこの疫病騒ぎの中、シェイクスピアは劇団の仲間を疫病のせいで失ってもいる。

そんなロンドン生活の中で印象的なのが、シェイクスピアの不動産投資だ。暗い世情の中で戯曲を書きながら、シェイクスピアは演劇界を離れて故郷の田舎で悠々自適に暮らすことを考えていたのだろう。1605年7月には故郷に巨額の投資を行なっている。それまでにも1602年5月には、故郷の村の近くに広大な土地と建物を購入している。

そしてシェイクスピアは、『ヘンリー8世』上演中の1613年6月、公演を行なっていたグローブ座の失火事件を機に引退を決意、故郷に帰った。そして新作を書くことはなかったという。政治や宗教、社会情勢といった時代状況を読み、巧みに不動産を購入する彼だからこそ、人間の心も巧みに読みほぐした作品を書き続けたのではないか。そんなふうにさえ思ってしまうほどだ。

己の愚かさを認識させる道化

河合祥一郎シェイクスピア』の後半部分では、シェイクスピアの演劇の構造や背景を流れる思想や哲学をみてゆく。

まず、シェイクスピアの生きた当時の時代思想は人文主義だということが紹介される。これがシェイクスピアの演劇、喜劇にも悲劇にも、その背景に流れているという。

人文主義思想とは、「真の学問とは、よりよく生きるためのものであり、そのためには刹那的な目先の利益を追う近視眼的生き方ではなく、自分の死を視野に入れ、死ぬまでに何ができるのかを考えなければならない。人間は神のように全知全能にも不死にもなれないのだから、己のいたらぬところを自覚しなければならないとする」(本書p131)考え方だ。

シェイクスピアの喜劇を特徴づけるのが道化の存在だろう。道化というものは、人間は全知全能ではないので、己のいたらぬところを自覚させるための存在だと言える。言い換えれば、己の愚かさを認識させるための存在だろうと著者はいう。

そして、人間は必ず間違えるし、失敗するし、馬鹿なこともする。昨日と今日で考えることも、口にすることも、行動も変わることもある。シェイクスピアは、そういった矛盾に満ちているからこそ、人間が人間であるのだということを喜劇として描いているのだとする。

政治的宗教的な混乱も、もともとは人間の思い上がりがあるのではないかというシェイクスピアの隠された意図を、わたしはここで想像した。人間が人間をひとつの考えの下に抑圧することなど、初めからできるわけがない。ひとりの人間の中でも相矛盾した考えを抱くし、行動をとる。そもそも他人をひとつの考えの下に縛りつけておこうという考えなど愚かしいことであり、人間の思い上がりではないか。そんな思いさえ感じる。
Clown Thinker

人間は死すべき儚い存在

人文思想は「人間は死すべき儚い存在だと認識せよ」(本書p163)との考え方でもあった。前に掲げた「自分の死を視野に入れ、死ぬまでに何ができるのかを考えなければならない」の部分だ。人間の儚さ、生は有限だとの考えは悲しさや虚しさと結びつき、それゆえにシェイクスピアの演劇には人の死がまとわりつく。

シェイクスピアの演劇には、よく人生を芝居に、人を役者にたとえるセリフが出てくる。たとえば、「世界は一つの舞台、男も女もみな役者に過ぎぬ」(『お気に召すまま』第二幕第七場:本書p185)それは演劇の終わり、すなわち人生の終わりを予感させるという。

人は死すべき存在だし、生は有限である。だからこそ、自分の死に想いを馳せ、死ぬまで何ができるのかを考えなければならないし、より良き生を生きなければならない。シェイクスピアの悲劇からは、そんな声が聞こえてきそうだ。

シェイクスピアの生きた時代背景を考えると、今の時代よりも簡単に弾圧や疫病で人が死んでいった。今の時代よりもずっと人の生命は儚いものだった。だからこそ、その儚い命をいかによりよく生きるかという問題が切実だったのだろう。シェイクスピアはその切実さを抱えながら、悲劇を書き続けたのかもしれない。

悲劇にしろ喜劇にしろ、シェイクスピアの演劇の背景を貫くものを見ていくと、人間の存在の儚さが浮かんでくる。そんな人間たちは矛盾だらけで、間違ってばかりで、完全な存在ではない。だからこそ人間なのだ。動乱の世の中で、シェイクスピアは人間を見つめ、人間を描いた。そこに流れるシェイクスピアの哲学や問題意識は、今の時代を生きるわたしたちにも切実に迫ってくるだろう。

参考

1)中公新書河合祥一郎シェイクスピア 人生劇場の達人』
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2016/06/102382.html

2)ブクログ/『シェイクスピア 人生劇場の達人』
http://booklog.jp/item/1/412102382X

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