誤読と曲解の読書日記

読書の感想を書く日記です。あと、文具についても時々。

まるで悪夢を見るような虚構/S・ミルハウザー『エドウィン・マルハウス』河出文庫

読書を通じて悪い夢を見る

スティーブン・ミルハウザー岸本佐知子訳『エドウィン・マルハウス あるアメリカ作家の生と死』河出文庫。本書はアメリカの作家スティーブン・ミルハウザーの長編小説第1作目。

本書は「子供によって書かれた子供の伝記」(訳者あとがきp526)の形式をとった小説である。タイトルどおり、本書の主人公はエドウィン・マルハウスという名の少年。エドウィンは10歳でアメリカ文学史上に残る傑作小説『まんが』を書きあげたあと、11歳で死んだ。

そのエドウィンの伝記(つまり本書)を書いたのは、エドウィンの住まいの隣に住んでいたジェフリー・カートライトなる11歳の少年である。生後6か月と3日のジェフリーは、生後8日目のエドウィンと出会った瞬間から、エドウィンの観察者となることを決意する。それ以降、ジェフリーはエドウィンの生涯を観察し続ける。そういうわけで、本書はこのジェフリーによって書かれた伝記という体裁をとる小説だ。


ところで、本書にはこんな一節がある。「世界は人の数だけあるが、悪い夢は誰のも似通っている」(本書p173)。これはどういう意味なのだろうか?

本書は子どもの世界を描いたものだが、そこにはわたしたち大人が想像するような、単純な明るい世界は描かれていない。むしろ、その根底にはほの暗いもの、もっと言えば死の匂いさえ漂っている。そして、そのようなほの暗いものや死の匂いといったものが、本書に登場する子どもたちを次々に連れ去り、奪ってしまうのだ。

本書を読み続けていくと、まさに悪い夢を見ているような気分に陥る。本書に登場する子どもたちは、濃密な暗黒とも言えるような描写をくぐった末に次々に消えてしまう。それも不穏で残酷な消え方で。本書は、読書という行為を通じて悪い夢を見ることを、わたしたちに疑似体験させているとも言えるだろう。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

不穏で不気味な遊園地

冒頭に、ジェフリーがエドウィンとともに遊園地で遊ぶ場面がある。この遊園地の描写からして、すでに不穏である。遊園地なのだから子どもにとってみればきらびやかで楽しい場所のはずであるにもかかわらず、そのような常識を逆手に取ったかのような描写が続く。

たとえば、遊園地を歩く人々を眺めて、ジェフリーは不穏で悲しい気持ちにとらわれる。遊園地を訪れた人々の人影は「まるでこの場所の亡霊みたいだ」(本書p26)と。「そして一瞬、これは夢なのだ、僕はどこか遠くの白い砂浜で眠っていて、悲しい、悲しい夢を見ているのだ、という思いにとらわれた」(本書p26)。

また、お化け屋敷の窓を覗き込んだあとには、「僕たち二人は、まるでお化け屋敷の暗闇の中からふいに光の中にさまよい出た二つの骸骨のようだった」(本書p30)とさえ感じる。やはり、不穏で不気味な感覚をジェフリーは抱いている。

この遊園地の場面で漂う不穏で不気味なトーンは、この物語全体を象徴しているようだ。同時に、この物語の結末を予言しているようでもある。死と消失にとらわれた物語の結末だ。この物語の最後に近い場面、エドウィンの死の前日にも二人は再びこの遊園地を訪れている。

そのとき、以前とは違ってボートの池がそっくり消えてしまっていたのだ。「土で埋め立てられた池は、よく見ると真ん中が墓のようにかすかに盛り上がっていた。中央に、誰が突き刺したのか、短い木の棒が傾いで立って」(本書p498)いたのである。

けっきょく、エドウィンは死に、ジェフリーもまたその行方が分からなくなった。ふたりは消えてしまったわけだが、物語の冒頭と結末に、不穏で不気味な遊園地を描いたのは、まさにその死と消失を象徴しているのだと言えるだろう。そしてこれは、エドウィンとジェフリーだけでなく、この物語の主要な登場人物たちもまた同じなのである。

消えてゆく子どもたち

本書で特徴的なのは、この物語に登場する子どもたちが、次々に消えてゆくことだ。

エドウィンとジェフリーの幼年期の友人であり、エドウィンに漫画やストーリー展開のある物語世界の存在を知らせた人物であるエドワード・ペンは、いつの間にかふたりの前から忽然と消え去ってしまう。

小学生になったエドウィンの初恋の相手であるローズ・ドーンは、原因不明の火災で死亡してしまうし、エドウィンの友人となった転校生のアーノルド・ハセルストロームは、度重なる暴力の末に射殺されてしまう。

そもそも本書の主人公であるエドウィン・マルハウスは、最後に銃による自殺を遂げてしまうし、本書を書いたとされるジェフリー・カートライトは、小学生の頃以降、行方がわからないままとされている。

本書に登場する子どもたちは、みんな不気味で不穏な消滅をしている。これはいったい何を意味しているのだろうか。

それは、子ども時代というものは、本書のような痛みや苦しみ、悲惨さを抱えていたものだと示しているのではないかとも考えられうる。大人になりかける途上の、長い道のりを歩いている子どもの痛みや苦しみだ。

それは、漫画への精根尽き果てるまでの深い没頭であったり、言葉では自分の気持ちや感情をうまく説明することのできないがゆえの暴力だったりする。そんな子どもたちは、みなどこかに孤独を抱えているが、あるいはそれの裏返しの自己顕示欲も同時に抱えている。そんなアンビバレントでアンバランスなものを抱え込んでいるため、子どもたちは抱える必要のない痛みや苦しみを抱いてしまうのだろう。

エドウィン・マルハウス』の描く子どもの世界は、まるで深い森だ。薄暗くて湿っぽい空気の支配する深い森。不幸にも、エドワード・ペン、ローズ・ドーン、アーノルド・ハセルストロームといった子どもたちは深い森にとらわれ、その深い森の奥に引きずり込まれてしまった。そしてまたエドウィン・マルハウスも、エドウィンの伝記を綴ったジェフリー・カートライト自身も、深い森の暗闇にとらわれ、引きずり込まれてしまったと言えるのかもしれない。

本書の作者は誰なのか

本書『エドウィン・マルハウス』の書き手は、小説的な意味でエドウィンの親友ジェフリー・カートライトということになっている。エドウィンはあくまでもジェフリーの視点で見つめられ、語られ、描写される存在だ。ジェフリーは冷徹な観察者に徹しようとはしているが、本書はこのジェフリーの存在が、エドウィン以上に感じられる。それは、ある種の傲慢さえ感じさせるほどのジェフリーの自負と存在感だ。

「僕がいなければ、エドウィン、君は果たして存在していただろうか?」(本書p186)。

そんなことさえ書いてしまう伝記作家ジェフリーの自負と存在感が、常にこの伝記にまとわりついている。むしろ、この伝記はエドウィンをダシにして、ジェフリー自身が自分のことを語っているのではないか? とさえ疑ってしまうほどだ。

ところで、このエドウィンを描いた伝記の「まえがき」にあたる部分は、『エドウィン・マルハウス あるアメリカ作家の生と死』の作者ジェフリー・カートライトと、かつて小学校で同じクラスの同級生だったウォルター・ローガン・ホワイトなる人物が書いている。

ウォルターによると、ジェフリーはその行方がわからないそうだ。ウォルターはジェフリーが転校したあと、一度も会っていないという。ではなぜ、ウォルターが『エドウィン・マルハウス』を入手できたのか。それは本書を読んでいただきたいが、この『エドウィン・マルハウス』の作者であるジェフリー自身がもはや行方不明という事実が、この本書全体を象徴しているようでもある。つまりは、本書に書かれたことすべては虚構であるとさえ思わせるからだ。

もちろん、そもそも本書は「小説」なのだから、ここに書かれていることは「虚構」であることに疑いはないわけだが、その「虚構」が、現実との境目を曖昧にし、あるいは現実であったもののように、わたしたちの胸に迫るのは、ミルハウザーの筆致の素晴らしさとも言えるだろう。

幾重にも織り込まれた虚構

本書の「まえがき」では、「エドウィンの作品が、彼の人生ほどの名声を勝ち得なかったことだけ」が心残りだとして、文章を締めくくっている。

そもそも、この「復刻版によせて」をかいたウォルターなる人物が、ジェフリー自身の変名だとは考えられないだろうか。あるいはこうだとも考えられる。ウォルター自身が、ジェフリーなる人物をでっち上げたのだと。そうだとすると、ジェフリーはエドウィンをでっち上げたが、そのジェフリーさえもウォルターのでっち上げなのではないか…...。

いったいどこまでが真実で、どこからが虚構なのか?

エドウィン・マルハウスをアメリカ文学史上に残る作家として仕立て上げたのは、ジェフリーのでっち上げではないか、とも思えるし、そもそもジェフリーなる人物自体、冒頭のウォルターなる人物のでっち上げなのではないか、という見方さえできる。

エドウィン・マルハウス』なる本書は、その世界に入り込めば入り込むほど、すべてはジェフリーの、あるいはウォルターの悪ふざけなのかもしれない、との疑いが頭に浮かんでくるほどだ。もちろん、言うまでもなく本書は小説なのだから、わたしたち読者はその幾重にも織り込まれた虚構をたっぷりと味わえばいいのだ。

参考

1)河出文庫/『エドウィン・マルハウス あるアメリカ作家の生と死』
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309464305/

2)ブクログ/『エドウィン・マルハウス あるアメリカ作家の生と死』
http://booklog.jp/item/1/4309464300

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