誤読と曲解の読書日記

読書の感想を書く日記です。あと、文具についても時々。

30センチ定規

子どもの頃から使っていた30センチ定規が真っ二つに折れた。

テレビを観ながら30センチの定規の両端を持って、無意識的にたわませて遊んでいたらポッキリと折れてしまったのだ。ちょうど真ん中あたりで折れてしまったので、約14センチ弱の長さの定規と約15センチ強の長さの定規が2本、できてしまったかたちになる。

しかし、30センチ定規は30センチの長さだからこそ意味があり、存在意義がある。

ノートに縦線や横線を一直線に引くときや、カッターでまっすぐに紙を切るときなど、ペンケースに普段から入れている15センチ定規では長さの足りない場面に出くわしてしまう。たとえば、25センチほど線を引きたいのに、15センチの定規しかないときなど、地味に不便だ。

そんなわけで、30センチ定規が真っ二つに折れてしまったことで、途端に不便が出てきてしまった。

失ってしまって初めて知る存在の大切さ、である。


ところで、この真っ二つに折れてしまった30センチ定規、たしかわたしが子どもの頃に学校でもらったものと記憶している。ただ、どんな理由でもらったのか、はっきりと記憶していない。

というのも、この30センチ定規に、「このスケールはヤクルト・ジョアの容器を再利用したものです」と書いてある(文字が定規の表面に浮き彫りになっている)からだ。

私が子どもの頃は、作文や絵画、あるいは習字のコンクールなどに学級や学校単位で応募して(明るい選挙標語コンクールとか、水道の大切さを訴えるポスターとか、そんな類のコンクールだ)、参加賞として鉛筆などの文房具をもらうことがあった。

だから、この定規もおそらくはヤクルトに関係したコンクールか何かに、クラスや学校で応募したときにもらった参加賞みたいなものなのかもしれない。

注目すべきなのは、このヤクルト・ジョアの30センチ定規、ミリやセンチの目盛りのみならず、尺貫法の目盛りまでついていることである。

尺貫法の一尺は約30センチだから、この定規は30センチ定規であると同時に、一尺定規でもあるのだ。

※ちなみに曲尺(かねじゃく)の場合、一尺(約30.3センチ)は十寸(一寸は約3センチ)。鯨尺になると、もう少し長い。

わたしは尺貫法でものを測らなければならない場面に出くわしたことはないが、私の子どもの頃(1990年前後)にはまだ、日常的に尺貫法を使う場面があったのだろうか(定規に目盛りがあるくらいだから)。


そんなことを考えながら、新しい30センチ定規を買いに行ったら、店頭には竹製とプラスチック製の2種類の定規が並んでいた。値段はプラスチック製が98円で、竹製が198円。

店頭に並んでいた30センチ定規には、どちらにも尺貫法の目盛りはなかった。尺貫法が日常的に使われる場面がなければ、定規からも目盛りが消えてしまうのだろう。

わたしは少し迷って、竹製の30センチ定規を買った。子どもの頃、学校の先生から竹製の定規の方が伸び縮みしにくくて信頼でできるという話を聞いたのを思い出したからだ。わたしはすっかり子どもの頃の先生と同い年か、それ以上の年齢になってしまった。

この竹製の30センチ定規をいつまで使うのだろう、ということに思いを馳せつつ、家路についた。


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