タイプライターといえば、かつてこの世に存在した歴史上の機械とのイメージを持っていた。
たとえば古い映画やテレビドラマでは状況説明の小道具としてタイプライターが登場する。
白、あるいは黒一色の画面にガチャガチャとキーを叩く効果音が流れはじめ、「19xx年、ニューヨーク、ダニエル・クイン探偵事務所」と、背景とは反転した色の活字が順に現れる。
そんな風に、わたしにとっての(英文、手動)タイプライターは、見たことも触れたことも使ったこともない、時折、映画やテレビに登場する歴史的道具というイメージしかなかった。
本書、ポール・オースター著『わがタイプライターの物語』(新潮社)は、作家ポール・オースターが所有し、使用しているタイプライターについて書かれた本。
オースターが1974年に西ドイツ・オリンピア製のタイプライターを入手して以来、「書いた言葉は一言漏らさず、この機械によって清書された」とある。
つまり、わたしたちがこれまで目にしてきたオースターの小説やエッセイ、脚本や詩、それに評論などは、すべてこのタイプライターで書かれたものだった。
本書の訳者あとがきによれば、2005年11月現在でも現役で稼働し、インクリボンのストックも「比較的潤沢で、あと何年かは大丈夫だろう」とある。
このタイプライターは30年以上の時間をオースターとともにし、パソコンが全盛となった21世紀になっても、作家の創作を支えているのだ。
その関係は、単なる作家と執筆する機械というだけの関係を超えて、ある意味では人間どうしの結びつきにも似てくる(ただし、一方は寡黙で感情をあらわにすることも、言葉を発することもないが)。
オースター自身、「我々が同じ過去を有し」、「同じ未来を共存してもいる」と語っている。「これからも未来を共にする」という気持ちは、人間関係と同様に、豊かで幸福な関係の中からしか生まれないものだ。まさに人間どうしの結びつきのようだ。
それは随所に挿入されたサム・メッサーの手による挿絵にも表れている。
オースター所有のタイプライターをモデルに描かれたメッサーの絵は、単なる機械であるはずのタイプライターが、ひとつの人格を持っているかのように描かれている。
あるときはクールでもの静かな表情、あるときはダイナミックに稼働する働き者の表情、またあるときには笑い声が聞こえてきそうなほどの笑顔を浮かべる。
本書は単なる作家と執筆する機械という関係を超えた、人間と機械との豊かで幸福な結びつきを目撃できる本となっている。
※追記
2013年10月に発行された、雑誌『モンキー』では、このタイプライターの短い近況が書かれてある。
それによると、「懸念されたインクリボンのストックも、ひとまずはまだ尽きていないようである」とのこと。
まだまだこのタイプライターから生み出される物語を、わたしたちは楽しむことができそうだ。
twitterのアカウントは、nobitter73です。