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誤読と曲解の読書日記

読書の感想を書く日記です。あと、文具についても時々。

終着点としての駅、出発地としての駅:『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』感想

読書

村上春樹色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年文藝春秋

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』という長いタイトルは、この本の内容を表したもので、この本は主人公、多崎つくるの巡礼を描いたもの。

みな、やがて去っていく、という寂しさ

多崎つくるはかつて、高校時代の親友たちから一方的に絶縁された過去を持つ。

つくるにとって高校の親友たちのグループは、親密で温かな居心地の良い、かけがえのない居場所だったが、そのグループの全員から、ある日突然理由を明かされることなく追放されてしまう。

つくるは死すら意識する深い孤独と絶望の中へ突き落とされる。
若い頃の親密な関係は、ひとりの人間の存在基盤やアイデンティティの一部とも言えるからだ。

たとえば、自分自身の若い頃の人間関係を眺めてみても、そういった人間関係からもたらされたものが確実に、今の自分の一部を形づくっていると言えるだろう。

つくるは深い絶望と孤独をなんとか乗り越えるが、「自分のところへやってきた人々は、やがて自分を通り過ぎ、いつしか去っていく」寂しさを抱え込んだまま生きてゆくことになる。

それから十数年が過ぎ、多崎つくるは鉄道の駅をつくる仕事に従事している。

ところで駅というのは、それ自体が目的地となることはない。多くの人々にとって、駅はあくまでも通過点に過ぎないものだ。

そんな駅をつくる仕事に就く多崎つくるが、上記のような「自分のところへやってきた人々はみな、やがて去っていく」という寂しさを抱えているのは、巧みな設定だというのは、少々穿ち過ぎだろうか。

終着点としての駅、出発地としての駅

さて、そんなつくるは沙羅という女性と出会い、彼女の勧めに従って、かつて自分を一方的に絶縁した親友たちに会いに行き、絶縁の真相を探りに行く。それはある意味では多崎つくるにとっての“巡礼の旅”そのものでもあったのだ。

そしてつくるは、かつての親友たちと再会し、あの時どのようなことが起こったのかを知り、それぞれの抱える思いを知る。そんな巡礼の旅が終わったあと、つくるの中でなにかが終着を迎え、そして同時に新しいなにかが始まろうとする予感を抱かせるところで、この物語は終わる。

人間にはそうやって、シリアスな過去の傷と向かい合うことでしか終わらないもの、そして始まらないものがある。そんなことをわたし自身は感じた。


ところで、駅は通過点だと前述したが、駅は同時に終着点であり、出発地でもある。

多崎つくるが駅をつくる職業という設定は巧みな設定であり、そこに多くの暗示や示唆、寓意といったようなものが含まれているのではないか、というのは、やはり言い過ぎだろうか。


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