シンプルで質実剛健な2018年の手帳/コクヨ・キャンパスダイアリー(バーチカルタイプ)
シンプルで質実剛健な2018年の手帳/コクヨ・キャンパスダイアリー(バーチカルタイプ):目次
- キャンパスダイアリー・バーチカルタイプを購入
- バーチカル手帳の特徴と使い方
- キャンパスダイアリーの中身はシンプルで質実剛健
- 参考リンク
キャンパスダイアリー・バーチカルタイプを購入
来年2018年用の手帳としてコクヨのキャンパスダイアリー・バーチカルタイプを購入しました。表紙の見かけはキャンパスノートに似たデザインとなっています。色は限定色のネイビー。「ダイアリー」だから、手帳じゃなくて日記じゃないかという声も聞こえてきそうですが、わたしはこれを手帳代りに使っています。
この「バーチカル」とは見開きのページで1週間分を見渡すことができ、月曜から日曜までの1週間が横に並び、朝から夜までの1日分の時間軸が縦に並んでいるというものです。この縦軸には一時間(手帳によっては30分)ごとに時間が刻まれています。
たとえば、何日の何時から何時までどんな予定が入っているのか、または何時から何時までどんなことをして時間を過ごしたのかという時間を「量」で把握できるというのが、バーチカルタイプの手帳の特徴です。
※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。
『オズ』や『アリス』が怖い理由/『誤読と曲解の読書日記』2017年11月のまとめ
『オズ』や『アリス』が怖い理由/『誤読と曲解の読書日記』2017年11月のまとめ:目次
- 4ヶ月ぶり(!)の今月のまとめ
- 『オズの魔法使い』や『不思議の国のアリス』が怖い
- 『誤読と曲解の読書日記』今月のまとめ
- 『誤読と曲解の映画日記』今月のまとめ
- 管理人からのお知らせ:Amazonほしい物リスト
4ヶ月ぶり(!)の今月のまとめ
4ヶ月ぶり(!)の今月のまとめです。
8月下旬から10月にかけて、個人的に少々多忙だったためです……。
ようやくブログを書く余裕が出てきたので、またブログを再開します。
『オズの魔法使い』や『不思議の国のアリス』が怖い
わたしは『オズの魔法使い』や『不思議の国のアリス』に怖いイメージを持っています。
なぜ『アリス』や『オズ』に怖いイメージを抱いているのかという理由なんですが、ひょんなことから子どもが奇妙な異世界へ迷い込んでしまうからというのが大きいかもしれない。そもそも不可抗力で異世界に巻き込まれたのに、なんでそこから元の世界に戻るのに試練を乗り越えなきゃいけないのかという疑問も湧く。
子どもが成長するにつれて、現実の世界でも突然、不可抗力ともいえるような不条理な状況に直面したら、なんとか自力で試練を乗り越えないといけないみたいな状況に陥ることは起こるので、ある意味では生きているうちにはそういう不条理な状況に突然巻き込まれる場合があるというのを、子どものうちから教える意味もあるのだろう。
子どもにとっては、草むらの穴に転がり落ちたら訳のわからない世界だったとか、竜巻に家ごと巻き込まれて遠くへ飛ばされてしまうなんて恐ろしい状況です。親だって兄弟だって友達だって存在しない世界です。ある意味ゼロから自分を立ち上げて直面した試練を乗り越えなきゃいけないのは、大人でもつらいことです。
嘘やぺてんのない、真摯でやさしい言葉にあふれた物語/ライマン・フランク・ボーム(河野万里子訳)『オズの魔法使い』新潮文庫
嘘やぺてんのない、真摯でやさしい言葉にあふれた物語/ライマン・フランク・ボーム(河野万里子訳)『オズの魔法使い』新潮文庫:目次
- 怖いイメージを抱いていた『オズの魔法使い』
- 父親による子どもたちへのメッセージ
- 嘘やぺてんのない、真摯な言葉たち
- 波乱に満ちた作者の人生
- 困難に直面しても諦めない姿勢
- 参考リンク
怖いイメージを抱いていた『オズの魔法使い』
『オズの魔法使い』は、言わずと知れた児童文学の古典である。
わたしは『オズの魔法使い』に怖いイメージをずっと抱いていた。なぜならば、ひょんなことから子どもが奇妙な異世界に迷い込んでしまうところに恐怖を感じるからだと言えるかもしれない。しかも、不可抗力で異世界に巻き込まれたのに、そこから元の世界に戻るために試練を乗り越えなければならないし、その試練を乗り越えないと元の世界に戻れなくなってしまうかもしれない、というところに恐怖や不条理を感じるからなのだろう。
わたしが『オズの魔法使い』に初めて触れたのは、おそらく実写版の映画を観たとき(小学校に入っているかいないかくらいだと思う)だが、そのときすでに、『オズの魔法使い』に心ときめく冒険映画との印象は受けなかった。ただ、こんなわけのわからない世界に迷い込んでしまうのはいやだなあと思いながら観ていた記憶がうっすらとある。なぜならばそれは、自分があのような奇妙でわけのわからない世界に迷い込んでしまったら、二度と抜け出すことができないだろうなという確信にも似た想像をしてしまうからだろう。
しかし、今回『オズの魔法使い』を読んで、そのイメージが少し変わった。友情と冒険の物語であり、海外ドラマのようにワクワクドキドキする展開が連続する物語であった。しかも、その底流には、親が自分の子どもを見守っているかのようなあたたかなまなざしがあることにも気づいた。
ただ、自分がこの物語のような奇妙な世界へとひょんなことで迷い込んでしまって、冒険をしないと故郷の町に帰れないと言われると、自分には物語の世界を抜け出す自信がないなあという不安にも似た気持ちは変わらないままだ。もちろん、それは『オズの魔法使い』の物語のせいではなく、あくまでも自分の受け止め方の問題でしかないことは言うまでもない。
※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。
愛憎と戦争とおっぱいとトラクター/藤原辰史『トラクターの世界史 人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち』中公新書
愛憎と戦争とおっぱいとトラクター/藤原辰史『トラクターの世界史 人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち』中公新書:目次
- 牧歌的なイメージが覆されてゆく一冊
- トラクターの光と夢
- 戦争とトラクター
- トラクターの文化的側面
- 参考リンク
中公新書の『トラクターの世界史』に、エルヴィス・プレスリーがトラクターに乗るのが趣味であったと書いてある。当時のアメリカ2大メーカーのトラクターを乗り回していたという。世の中いろんな趣味があるけど、トラクターを乗り回す趣味の人って世界でも数えるほどしかいないんじゃないか🚜🚜🚜
— のび@経済評論家() (@nobitter73) 2017年10月18日
本書によると、メジャーリーガーだったボブ・フェラー投手は、引退後にキャタピラー社製トラクターを収集しはじめたそうだ。父親はアイオワ州で最初のキャタピラーのトラクターを購入し、それが子ども時代の思い出となっているのが動機のようだが、世界にはいろんなコレクターが存在することを知る🚜
— のび@経済評論家() (@nobitter73) 2017年10月18日
牧歌的なイメージが覆されてゆく一冊
藤原辰史『トラクターの世界史 人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち』中公新書は、サブタイトルにもあるとおり、トラクターを<人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち>と位置づけ、トラクターの登場と発展が人類の歴史をどのように変えていったのかを描く。
わたし個人は、トラクターをはじめとする農業機械にそれほど興味があるわけではない。農家でもないので、トラクターを運転したこともなければ、稼働しているところを間近に見たこともない。郊外の田畑にあるトラクターを遠目に眺めるくらいのかかわりしかない。
だから、トラクターについては牧歌的なイメージが強かった。たとえば『ひつじのショーン』に登場する牧場主のおじさんが、トラクターを乗り回しているシーンが出てくる。作中でもトラクターは農作業の必需品であると同時に、牧歌的な農家の風景に欠かせない存在として描かれている。
けれども、本書を読み進めているうちにトラクターの牧歌的なイメージだけではない側面が次々にあぶり出されてゆく。石油や化学肥料の大量使用、土壌の圧縮、騒音と振動による作業者の身体への悪影響などなど。本書を読み終わる頃には、それまで抱いていたトラクター=牧歌的だという単純なイメージが覆されてしまうのだ。
※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。
『至上の愛』のさらにその先にあるもの/藤岡靖洋『コルトレーン ジャズの殉教者』岩波新書
『至上の愛』のさらにその先にあるもの/藤岡靖洋『コルトレーン ジャズの殉教者』岩波新書:目次
今日的なテーマを含むコルトレーンの音楽
藤岡靖洋『コルトレーン ジャズの殉教者』岩波新書は、ジャズミュージシャンのジョン・コルトレーンの生い立ちから死去までの生涯を描く。コルトレーンについて、そしてジャズについて、より深い世界を知るための一冊だと言えよう。さっそく、コルトレーンや彼と関わりのあったミュージシャンたちの音楽を聴きたくなる本だ。
コルトレーンの音楽は個人的にいくつかiPodに入っているが、彼の人生や彼の音楽性について深く知っているかと言われればまったく自信はない。また、コルトレーンを含んだジャズや彼と関わりのあったミュージシャンたちについても、初心者に毛の生えた程度の知識しかない。
この本はコルトレーンの生涯を通じてジャズという音楽の小史を知ることができる。またコルトレーンの周囲のミュージシャンたちとの関わりを通じて、彼の音楽についてより深く知ることができる。この本を読み終わったあと、いっぱしの”コルトレーン通”を自称できるかもしれないと高揚感に包まれる一冊である。
また同時にこの本はコルトレーンの生涯を描きながら、彼の音楽に込められた黒人差別に対する怒りと公民権運動への共感までをも描き出す。本書によると、彼の母方の祖父は牧師であったという。その祖父から奴隷として連れてこられた黒人の歴史を聞き、そして自身もまた南部で生まれ育ったので黒人差別を肌で感じていたのだろう。
コルトレーン自身は、黒人差別への反発や怒りを声高に正面切って叫ぶことはあまりなかったようだが、彼の生み出したアルバムや曲を見ていくと、そこには静かな怒りというべきものが込められていることがわかると本書では位置付ける。
コルトレーンが自身の音楽に込めた黒人差別への怒りや憤り、それに加えて公民権運動に対する共感といったものは、不寛容が広がる現在の世界にとっての今日的なテーマでもあるのではないか。だからこそコルトレーンの音楽は、それが生み出されて半世紀が経った今日でも色あせずに多くの人々の共感を得ながら、広く聴かれているのだろうとの思いをわたしは抱いた。
※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。