誤読と曲解の読書日記

読書の感想を書く日記です。あと、文具についても時々。

雨宿り/2017年6月のまとめ

『誤読と曲解の読書日記』/2017年6月のまとめ:目次

  • 雨宿り
  • 『誤読と曲解の読書日記』今月のまとめ
  • 『誤読と曲解の映画日記』今月のまとめ
  • 管理人からのお知らせ:Amazonほしい物リスト

雨宿り

わたしの住んでいる地域はとっくに梅雨入りして、毎日のように雨が続いています。
梅雨入りした直後からは、ほとんど雨が降らなかったので、今年は空梅雨になるのかなあと思っていた矢先に、連日のように雨が降り続くようになりました。

そういえば、芥川龍之介の『羅生門』では、下人が雨宿りしてるところからはじまる話ですが、最近は雨宿りする機会はあまりないことを思い出しました。

わたしはわりと用心深いので、天気予報はこまめにチェックするタイプです。だから、天気予報が発達して、朝の天気を見ればだいたい帰るころには雨が降るなあという時には、傘を必ず持って行きます。また、天気予報のアプリを使えば、今どこにどのくらいの強さの雨が降っているという情報や、今いるこの場所に、あと何時間後に雨が降り出すかという情報を瞬時に手に入れることができますね。

だから、あらかじめ傘を用意することもできるし、雨をやり過ごすこと(広い意味では、これも雨宿りかもしれませんが)もできるのですが、うっかり傘を持たずに出かけたまま、急な激しい雨に遭遇して、これはちょっと雨宿りしてやり過ごさないといけないなあと、どこかのお店の軒先に駆け込んだとき、たまたま同じように雨宿りするために駆け込んだ素敵な人と知り合いに…...、みたいな展開は、やっぱり漫画の中だけの世界ですね。

あるいは、『羅生門』のように雨宿りしているときに、死んだ人の髪の毛を抜くような老婆に会うと、やっぱりちょっとぎょっとしますね。


それでは、『誤読と曲解の読書日記』今月のまとめをどうぞ。

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わたしたちの内部にひそかに息づく物語をめぐる考察/小川洋子・河合隼雄『生きるとは、自分の物語をつくること』新潮文庫

わたしたちの内部にひそかに息づく物語をめぐる考察/小川洋子河合隼雄『生きるとは、自分の物語をつくること』新潮文庫:目次

  • 個人の内部にひそかに息づく物語をどうとらえるか
  • 「ピッチャー」と「キャッチャー」
  • 矛盾を抱えながら生きること
  • 物語の解釈
  • 参考リンク

※ここで取り上げる本は、Amazonほしい物リストから送っていただいた本です。

個人の内部にひそかに息づく物語をどうとらえるか

小川洋子河合隼雄『生きるとは、自分の物語をつくること』新潮文庫

本書は、作家の小川洋子氏と臨床心理学者で文化庁長官を務めた河合隼雄氏との対談をまとめたもの。本書は、個人の内部にひそかに息づく物語を、わたしたちはどうとらえるかということを考えてゆく内容となっている。

対談するのは、河合隼雄氏と小川洋子氏。臨床心理学者として人々の苦悩に耳を傾け、寄り添い続けてきた河合隼雄氏が、言わば他人の個人的な物語を引き出してきた方だとすれば、小川洋子氏は作家として個人の内部にひそかに息づく物語を小説というかたちにして紡ぎ出してきた方だと言えるだろう。

本書は小川氏が河合氏に疑問や質問をぶつけ、それに河合氏がこたえるという形式だが、臨床心理学者として人々の物語に耳を傾けてきた河合氏の言葉に小川氏が耳を傾けている構図が面白い。特に河合隼雄氏からみれば、普段の役割とは逆の立場になっているとも言えるからだ。

そして同時に、これだけ河合氏からいろいろな話を引き出している小川氏もまた、やはり一流の物語の紡ぎ手なのだなあと、本書を通じて改めて感じた。物語を紡ぐにも、個人の中に眠る物語をうまく引き出して、きちんとした言葉にしなければならないからだ。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

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半分しかなかった世界の、もう半分を取り戻すために/E・ケストナー(池田香代子訳)『ふたりのロッテ』岩波少年文庫

半分しかなかった世界の、もう半分を取り戻すために/エーリヒ・ケストナー池田香代子訳)『ふたりのロッテ岩波少年文庫:目次

  • 半分しかなかった世界の、もう半分を取り戻すために
  • ルイーゼとロッテの両親について
  • 大人になった今、この物語を読む意義
  • この物語について
  • 参考リンク

半分しかなかった世界の、もう半分を取り戻すために

エーリヒ・ケストナー池田香代子訳)『ふたりのロッテ岩波少年文庫

ふたりのロッテ』は、互いのことを知らないまま別々に育った、ふたごのルイーゼとロッテが主人公の物語。ある夏、ルイーゼとロッテは偶然にも出会い、互いがふたごだと確信する。そこで両親の離婚した理由を探り、仲直りさせるために、ある大胆な計画を考えつく……、というストーリー。

それまでの自分の世界が、実は半分しかない世界であり、もう半分の世界と突然出会ってしまった。自分たちが築いてきた今までの世界は、実は自分たちの世界の半分しかなかった。これは自分のルーツやアイデンティティに関わる問題である。自分がどんな両親から生まれ、どんな姉妹がいたのか。だから、もう半分の世界を見るために、ふたりはそれぞれそっくり入れ替わってしまう大冒険へと漕ぎ出すのだ。

偶然に出会ったふたりは、「子どもの家」(女の子が夏休みを過ごす施設のこと)で、互いのことを知ろうとずっと離れずに過ごす。けれども、互いのことを知れば知るほどに、わからないことも次々に出てきてしまう。

たとえば、ふたりの両親がなぜ離婚したのか、その理由はわからない。両親はふたりが物心つく前の小さな頃に離婚し、そのあとも離婚した理由を娘たちに教えてこなかったからだ。そもそも自分たちがふたごだったことも初めて知ったし、互いの親が生きていることも知らなかった。だから、ルイーゼとロッテの頭には、残り半分の世界を知るための、たくさんの疑問が湧いてくる。

なぜ、父はウィーンで母はミュンヘンに住んでいるのだろうか?
なぜ、親は自分たちがふたごだと教えてくれなかったのか?
なぜ、それぞれの親は互いのもう一方の親が生きていると教えてくれなかったのか?

そしてふたりは服も髪型も取り替えて、そっくりに入れ替わる。ルイーゼはロッテになってミュンヘンへ、ロッテはルイーゼになってウィーンへ向かう。そうした疑問と解くために。家族を再生させるために。半分しかなかった世界の、もう半分を取り戻すために。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

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【お礼とご報告】ほしい物リストから本が届きました

ほしい物リストから本が届きました

このブログで公開しております「ほしい物リスト」から、本が届きました。
Amazonほしい物リストの性質上、どなた様が送られてきたのか、こちらからはわかりませんので、この場を借りて、厚く御礼を申し上げます。
ありがとうございました。

届いた本は、小川洋子河合隼雄『生きるとは、自分の物語をつくること』新潮文庫

取り急ぎ、ご報告でした。

『誤読と曲解の読書日記』管理人:のび



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『誤読と曲解の読書日記』管理人:のび
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わたしたちの意思が適切に反映されるための方策を探る一冊/坂井豊貴『多数決を疑う 社会的選択理論とは何か』岩波新書

わたしたちの意思が適切に反映されるための方策を探る一冊/坂井豊貴『多数決を疑う 社会的選択理論とは何か』岩波新書:目次

  • 人々の意思をよりよく集約できる選び方を探る
  • 多数決なるものが、絶対的に正しいものではない
  • 多数決に正当性を与えるために
  • 憲法改正についての多数決
  • 民主主義に必要なコスト
  • 参考リンク

人々の意思をよりよく集約できる選び方を探る

坂井豊貴『多数決を疑う 社会的選択理論とは何か』岩波新書

本書はタイトルのとおり、まず「多数決を疑う」ことを目的としている。わたしたち有権者は、選挙などに多数決が採用され、その結果にとりあえず従うのが正しいと自明のこととして受け入れてはいるが、その多数決の意見が本当に多数の意見を反映しているのだろうか、という疑問が本書の出発点である。

「自分たちのことを自分たちで決めるためには、どうすればいいのか。これは思想的な問題であると同時に、技術的な問題である」(本書はじめにp-viii)との立場から、本書は社会的選択理論を用いて多数決を精査し、人々の意思をよりよく集約できる選び方(集約ルール)の代替案を探っていく。

第1章「多数決からの脱却」では、「そもそも多数決で、多数派の意見は常に尊重されるのだろうか」(本書p6)との疑問を提示する。この章では、はじめに2000年のアメリカ大統領選挙の例を取り、「多数決」によって「多数派」(ここでは「少数派」ではないことに注意)の意見が、常に尊重されるわけでもないことを提示する。

たとえば、2000年のアメリカ大統領選挙においては、事前の世論調査では民主党アル・ゴア氏が有利との結果が出ていた。しかし、第三の候補としてラルフ・ネーダー氏が立候補すると、ゴア氏と主張が重なったネーダー氏がゴア氏の票を奪い、結果として共和党ジョージ・W・ブッシュ氏が大統領に当選した。

このアメリカ大統領選挙の例からわかることは、たとえ多数派の人々であっても、多数決は有権者が「自分たちの意思を細かく表明できない・適切に反映してくれない」(本書p10)という無力感を生み出す場合があることを、この例では示すのだ。

去年(2016年)のアメリカ大統領選挙でも、得票数ではヒラリー・クリントン氏の得票の方が、ドナルド・トランプ氏よりも多くても、(選挙人制度という制度的な理由もあって)トランプ氏が当選したことは、わたしたちの記憶に新しいところだ。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

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