物足りなさと過剰さが同居する一冊/十川信介著『夏目漱石』岩波新書
物足りなさと過剰さが同居する一冊/十川信介著『夏目漱石』岩波新書:目次
- 評伝ではあるが…...
- 作品と生涯の関係
- 参考リンク
評伝ではあるが…...
本書は、タイトルどおり、夏目漱石の生涯を描く評伝である。漱石の出生から亡くなるまでの生涯を時系列に追っていく。時系列であるがゆえに、漱石個人の生涯の歩みと、そのときどきの漱石の文学作品の解説が織り交ぜられながら語られてゆく。
ただ、漱石作品の解説の部分が細かすぎるのが気になった。夏目漱石の評伝を描く上で、個々の文学作品の解説を切り離すことはできないのだろうが、微に入り細に入りすぎた印象。すでに作品の内容を知っている人には冗長であるし、これからその作品を読んでみようという人にとってはネタバレとなっている。
むしろ、漱石の生涯と作品の解説が知りたいのなら、各文庫から出ている漱石の作品とその巻末にある解説、さらにはそれに加えて、岩波文庫から出ている書簡集など一連の文学先品以外のものをまとめた本を読む方を、個人的にはおすすめしたい。
※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。
悪魔的に危険な本/寺尾隆吉著『ラテンアメリカ文学入門』中公新書
悪魔的に危険な本/寺尾隆吉著『ラテンアメリカ文学入門』中公新書:目次
- 単なるブックガイドにとどまらない一冊
- 「批評版」の存在
- 悲観的な現状からの希望
- 参考リンク
単なるブックガイドにとどまらない一冊
寺尾隆吉著『ラテンアメリカ文学入門 ボルヘス、ガルシア・マルケスから新世代の旗手まで』中公新書
中公新書の『ラテンアメリカ文学入門』、これは悪魔的に危険な本。知らない作家や作品はもちろん、知っている作家でも読んだことない作品が、本文はもちろん巻末の参考文献にもたくさん紹介されているから、じゃんじゃん本を買うしかなくなってしまうのだ。
— のび (@nobitter73) 2017年1月8日
本書のタイトルは明確に「ラテンアメリカ文学入門」と銘打っている。たしかにラテンアメリカ文学に関わる作家たちや作品の紹介やエピソードがふんだんに盛り込まれているし、巻末の参考文献とあわせて、まさに「ラテンアメリカ文学入門」にふさわしいブックガイドと言えるだろう。
しかし、本書は単にここの文学作品の解説、あるいはブックガイド的なものにとどまらない。
本書は「ラテンアメリカ文学入門」のための一冊であると同時に、「ラテンアメリカ文学史」としての側面を持つ。本書は、カルロス・フエンテス、マリオ・バルガス・ジョサ、フリオ・コルタサル、ホルヘ・ルイス・ボルヘス、ガブリエル・ガルシア・マルケスなどの書き手がそろい黄金期を迎えた「一九五八年から八一年にいたる二十数年を中心」とした、その前後を含めた約100年にわたる現代ラテンアメリカ文学の動向を探るものでもある。
そこでは、作家同士の関係性はもちろん、スペイン語圏の出版社や出版業界の動向と、それがラテンアメリカ文学に及ぼした影響、またラテンアメリカ諸国の政治・経済の動向と、それがラテンアメリカ文学や作家たちへ与えた動向まで広く網羅する。本書はラテンアメリカ文学の動向を広く俯瞰し、ラテンアメリカ文学の世界進出や世界文学における位置づけまで探る一冊となっている。
※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。
悪も滅び、善も滅んだ/W・シェイクスピア(福田恆存訳)『ハムレット』新潮文庫
「善に対する悪の勝利」なのか
ウィリアム・シェイクスピアの『ハムレット』は、善に対する悪の勝利を描いた悲劇とひとまず位置付けられている。デンマーク王のクローディアスは、兄の先王ハムレットを殺して、その地位を簒奪した人物。のみならず、先王の妃ガードルードまでをも自分の妃とした。先王の息子ハムレット(この物語の主人公で、先王と同じ名前)は、そのようなおじのクローディアスと自分の母親でもあるガードルードを激しく憎む。
ハムレットは気が狂った風に自らを装って復讐の機会をうかがうが、クローディアスはそんなハムレットが腹に一物持っているのではないかと疑いはじめ、ハムレットをイギリスへ送ったあとで暗殺をしようと企む……、というのがこの物語のあらすじだ。
けれども、この物語は本当に「善に対する悪の勝利」を描いたものなのか、個人的には少し釈然としない。
※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。
緩慢で漸進的で迂回的であっても/渡辺将人『アメリカ政治の壁−利益と理念の狭間で』岩波新書
暗澹とした気分にさせられる一冊
2016年のアメリカ大統領選挙の本選挙では、事前の大半の予想を覆し、共和党のドナルド・トランプ氏が勝利した。政治経験のないトランプ氏は、既存の政治勢力から見ればアウトサイダーであり、彼の大統領としての手腕に期待と不安が渦巻いている。
そんな中で手に取ったのが、渡辺将人著『アメリカ政治の壁−利益と理念の狭間で』岩波新書だ。本書は2016年8月に刊行されたので、トランプ氏が本選挙を勝利し、次期大統領に選ばれる以前に書かれた文章になる。
この本を読んでいるうちに、トランプ氏が大統領に選ばれたのも、半ば必然的なものだったのではないかという気分にさせられる。それは主に、トランプ氏の選挙戦略が、共和党や民主党の中に存在する亀裂の間隙を縫ったものではないかと思えてくるからだ。
それだけ、アメリカ政治に存在する多種多様で複合的な亀裂−−本書ではそれを「アメリカ政治の壁」と読んでいる−−が深刻化しているのであり、その亀裂を修復、あるいは壁を克服することが、特に既存の政治勢力の側にとって相当に困難な状況にあることが理解できる。
本書はその「アメリカ政治の壁」をさまざまな角度から見ていくことによって、壁を克服するための方策を探る。しかし、本書で見ていくように、その壁の克服は相当な困難を伴うように見える。あくまでもアメリカ政治の現場の事などまったくわからない(知識として理解はできても、感覚や体験としてはまったく知らない)日本人のわたしたちからみると、暗澹とした気分にさせられるのも事実だ。
※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。