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誤読と曲解の読書日記

読書の感想を書く日記です。あと、文具についても時々。

小説家の評伝がもっとあってもいい/2016年11月のまとめ

今月のまとめ

小説家の評伝がもっとあってもいい

岩波新書から出た『夏目漱石』(十川信介著)を買いました。まだ途中までしか読んでいませんが、夏目漱石の生涯をたどりながら、漱石の書いた小説の背景などを探る評伝です。

このような新書形式の小説家の評伝、もっとあってもいいなあと思います。もっとも岩波新書からは、正岡子規森鴎外太宰治など、近代文学者の評伝がすでに出されています。ただ、岩波文庫から出ている小説の数から言えば、このような小説家の評伝がもっとあってもいいのかなと思ったところです。

評伝とは、わたしの理解するところでは、小説家の生涯をたどりながら、ひとつひとつの作品を書いた当時の個人的社会的背景、その作品の小説家個人にとっての評価や時代的な位置付けを俯瞰できるような本と考えています。それは作品世界をより知るための手がかりとして、場合によっては小説作品そのものと同じくらいに、必要な人にとっては必要なものではないでしょうか。評伝を求めている人って、けっこういるような気もするのですが。

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善い行いが光を与える/W・シェイクスピア(福田恆存訳)『ヴェニスの商人』新潮文庫

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今も色あせない『ヴェニスの商人

ウィリアム・シェイクスピアの『ヴェニスの商人』を、最近読み直した。たしかに面白い。先のストーリーが気になってページを早くめくりたくなる、というタイプの面白さがある。それに加え、善なるものや寛容を求める姿勢と、友人や夫婦といった親しい人を信頼する姿勢が、この物語を単なる面白いだけの物語にとどめることなく、一段と深みを持たせたものにしている。

簡単なあらすじを書くと、この物語はヴェニスの商人アントーニオーが友人のバサーニオーのため、自分の身体の肉1ポンドを担保に、金貸しのユダヤ人シャイロックから借金をすることがメインのストーリーとなっている。

そのメインストーリーに、ベルモントの貴婦人ポーシャの婚約者を決める三つの箱選びの話や、シャイロックの娘ジェシカの駆け落ちの話、さらには女性たちが夫の愛を試すために巻き起こす、指輪紛失のひと騒動の話が絡み合う。

ヴェニスの商人』は今から400年以上も昔に書かれたものだが、今もなお読み継がれ、劇場で上演されるのは、痛快な喜劇であることと、そこに描かれた人間の振る舞いから読み取れるものが、今もなお通用するからだろう。

この『ヴェニスの商人』から読み取れるものは次の二点だ。まず、深く抱いた復讐心が自らの身を滅ぼしてしまうということ。次に、慈悲とよい行いは人間の運命を良き方向に向けるものであるということ。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

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今年のノーベル文学賞/2016年10月のまとめ

今月のまとめ

ボブ・ディランに2016年のノーベル文学賞

先日、今年のノーベル文学賞が発表になりました。ご存知のとおり、ボブ・ディランが受賞しました。

ボブ・ディランさんにノーベル文学賞 音楽家・作詞家:朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/articles/ASJBF5VGVJBFUCLV01H.html

この記事によると、アメリカ人のノーベル文学賞受賞者は1993年のトニ・モリスン以来、11人目だということです。

ノーベル文学賞にミュージシャン?」と、お思いの方もいると思いますが、ノーベル文学賞は小説だけではなく、戯曲(例:ジョージ・バーナードショーなど)や哲学(例:バートランド・ラッセルなど)や伝記(例:ウィンストン・チャーチル)、そして詩(例:パブロ・ネルーダなど)にいたるまで、執筆に関わる幅広い分野を対象にしているので、個人的にはさほど違和感は抱きませんでいた。

だから、ボブ・ディランも詩人のひとりとして、充分ノーベル文学賞を受賞するにふさわしいのではないでしょうか。

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一生抱えていかざるを得ない痛み/ジェイムズ・ディッキー(酒本雅之訳)『救い出される』新潮文庫(村上柴田翻訳堂)

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一生抱えていかざるを得ない痛み

ジェイムズ・ディッキーの『救い出される』は、男たちが川下りの途中で陵辱と暴力にさらされ、そこから逃れる物語だ。悪から逃れて生き延びるため、男たちは悪を犯さざるを得なくなる。生き残り、逃げのびて、救い出されるために、人間を殺さなければならなかった。そのあたりの切実さ、切迫感、緊迫感が、物語の先を読ませる推進力になっている。

肉体的にも精神的にも深い傷を負ってしまった主人公の「ぼく」は、再び日常に戻ったあと、もはや川下りに出かける以前の自分とは大きく変化してしまった自分を発見する。「ぼく」はもともと退屈極まる日常から逃れることを望んで川下りに出かけた。川下りの途中で予期せぬ暴力が降りかかり、それをくぐり抜けて元の日常に戻ってきたとき、もはや自分自身は以前の自分ではなくなっている……、というストーリー。

読後感はさわやかなものではない。むしろ、自分の身体の深いところが痛むような感じだ。その痛みは思わずうずくまって動けなくなってしまう類の痛みではない。あくまでも、身体の奥深いところでずきずきとうずくような痛みと言えばいいだろうか。おそらくはそんな痛みを、主人公の「ぼく」と仲間たちは、一生抱えて生きていくのだろう。

この物語の文章には、本書で描写されるような川の流れのような緩急がある。あるところは流れの速い急流で、とにかく先へ流させるように読ませる。またあるところでは、緩やかな流れのように風景を眺める余裕、ひいては大自然の中で自分を顧みる余裕のようなものさえある。

同時にそのような自然描写や心理描写に、独特の味わいがある。例えば川の水の描写。「上流下流何百マイルにもわたり、何千年の歳月をかけて、大地の構造に教え込まれたとおりに動く、深みのある水だった」(本書p121)。これは、作者のジェイムズ・ディッキーが詩人でもあるからこその表現なのだろう。そのあたりの味わいもまた、本書の魅力である。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

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不完全で儚い存在/河合祥一郎『シェイクスピア 人生劇場の達人』中公新書

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戯曲を読むのが苦手

わたし自身、戯曲を読むのは苦手だ。なぜ苦手なのか、それを説明すると長くなりそうなので割愛するが、「地の文」でさまざまな説明や描写のある小説と比べて「ト書き」の情報しかない戯曲では、想像力がより必要とされるから、みたいなところに落ち着くのだろうか。単に戯曲に対する苦手意識が先立っているだけということもあるかもしれないが。

河合祥一郎シェイクスピア 人生劇場の達人』中公新書。本書を読んでも、すぐにシェイクスピアの戯曲がすらすらと読めるようになるわけではない。本書はシェイクスピアの描いた戯曲の読み方のコツやテクニックを直接的に解説するわけではない。けれども、読み終わったあとにはシェイクスピアの戯曲に描かれた世界が、より豊かにぐんと広がって見えるはずだ。

第1章から第3章までは、シェイクスピアの生涯を3つの時期に分けて追っていく。シェイクスピアの生きた時代背景から彼の生涯をたどり、そこから彼の行動の背景にあったものに想いをめぐらせる。また、第4章以降は、シェイクスピアの演劇の構造や背景を読み解く。有名なセリフや場面の裏に意図されたものや潜んでいるものを明らかにしてゆく。悲劇や喜劇の構造、戯曲の根本にあるシェイクスピアの哲学や思想を読み解き、そこに込められたシェイクスピアの思いを紐解く。

本書は、シェイクスピア作品をより深く理解し、楽しめるようになるための一冊だ。


※以下、ネタバレ的な要素が含まれています。

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